長沢秀之-無限層の絵画、あるいは豊かな絵画 / 山本和弘

カタログテキスト

長沢秀之はいうまでもなくタッチとストロークによるマチエールの画家である。この意味において長沢は"ペイン タリー"を絵画の主調音とするモダニスト・ペインティングの正統な継承者である。だが、このモダニズムの原理主義に留まることなく、長沢は絵画構造の原理 そのものを変革しようとする画家のひとりでもある。宇宙をミクロとマクロとの両面から解明しようとする現代物理学に倣うならば、長沢の絵画には"量子論" 的アプローチと"相対論"…

「目を閉じて」展 長沢秀之原稿

展示コンセプト

1993年の個展のパンフレットに、わたしは次のような言葉を書きました。 画家は一個の盲目者である。 画家は見ることと、見ることの断念との間にある。 絵画という窓は、画家⇔盲目者という往復運動の通過点(門)である。 画家はこの窓を通して視覚を失い、また逆にそれを獲得する。(以下略)*注1 そして、2006年の個展「メガミル」のカタログには次のような文を書き付けました。 ワタシガ見ルノデハナク、眼ガミル。 認識ノ方向デハナク、認識ノ外ノホウヘ。 脳内ヘノ書キ込ミヨリハ、ムシロ、…

『サイボーグの夢』

展示コンセプト

「いつの頃から身体がなくなってしまったのか記憶にないんだけど、つくづく身体がないなと思ったんですね。」(押井守)  私たちはもうサイボーグ になってしまったのだろうか?  パソコンやケータイのディスプレイを通じて、視覚はCPUにつながり、そこに集積された欲望はさらに無数のCPUを通じて変形され、個々の視覚と脳に配 給される。感覚の延長は当然のごとくそれらによって統合されている身体や自意識にまで変化をおよぼす。それらの視覚を中心とした圧倒的な情報量の前に、触 覚はかたすみに追…

「アート」はおもしろいか?

美術関連

一般の人にとって、「アート」はおもしろいのだろうか? いわゆる現代美術の「絵画」はどのように受け取られるのだろうか? 川越市立美術館から個展の要請を受けた時に、漠然と抱いた不安はそのようなものであった。これは、今までの画廊での個展や、都市美術館での展覧会では、感じたことのない類のものであった。  もちろん、これには、川越という地方都市での現代美術展という事情が絡んでいたことは、言うまでもない。展示だけでは心もとない。せっかくのこの機会を借りて、地域の人たちとの、絵を通じた交…