大学の交流で上海に行ってきました。(旅ムサin Shanghai )
上海には強烈なリアリズムがありました。といってもそれは描き方のリアリズム(写実主義)ではなく、社会のなかでアートがいかにして生き抜いていくかというリアリズムのことです。国が政治、経済と同じように文化政策としてアートを推進し、それらと緊張関係をもちながらアートシーンが出来上がっていました。作品が流通して、一部の作家たちはますます制作に邁進し、それを欧米の人たちが見に来てまた作品が流通していく、という循環がありました。社会主義の国にありながら資本主義の最先端にあるアートが市場とともに定着していることの衝撃はことばでは言い表せません。
地元の著名なアーティストである潘さんの案内によって訪問することができたレッドタウン、M50、半島1919、上海現代美術館、すべて人通りが絶えません。そこで活発な作品発表と見学者がいることはうらやましい限りでした。
そうした状況を見るにつけ思うのは、その根底にアート=遊びという考えを許容するところがあって、それをビジネスとして成立させてしまう懐の深さといったものがあることでした。この日本ではまだアート=教養という考えが強く無駄な遊びを許しません。それでは世界が動いていることのリアリズムからは一歩も二歩も遅れてしまうのではないかと思います。
また上海の作家たちに感じたのは、極端に言えば、美術を教養として学ぶことをすっ飛ばしていきなり現代の美術のなかに身を投じたような印象があることです。しかし今に生きている以上、現代のさまざまな問題や矛盾に突き当たるわけですから、そこをたどっていけば自ずと政治状況や過去の歴史ともつながってくるのではないかと思います。結果的に自国の美術の伝統ともつながり、また世界の市場とのつながりによって西洋の美術の流れも意識するのでしょう。
私たちは西洋美術を崇拝しすぎているのかもしれません。学んでからやるのかやりながら学ぶのか、極端に言えばそのくらいの差があり、そのあたりは国民性の違いやプライドの問題もあるのかもしれません。あるいは必要以上にリスク回避をやってきたこの国の病とも言うべきものが関係しているのかもしれません。
それでもここでやるしかありません。なにかつくるとき、ここはすでに「そと」です。敗北主義に陥らず、幻想に溺れず、絵画論に酔わず、冷静に、時々は熱狂的にやろう!そんなことを感じた上海の5日間でした。