モランディとAI

美術関連

 私たちの知覚は、AI(人工知能)の登場によってどう変わるのだろうか?人間でなければできないような知覚方向にシフトしていくのか?それとも知覚の初期 化を反復するのだろうか?そもそも私たちの知覚自体が実はAI的(転倒した言い方だが)であり、それを今再確認しているに過ぎないのか?  モランディを見ながらこんなことを考えていた。いつもなら絵の具の官能性のことを感じながら見入っていたところだが、今回の展示では、同時に自分の知覚が問い直される気がした。その根底には人間が何を認識し、何…

「遠いこの惑星は私たちの場」(2016年卒、修了制作から)

美術関連

 この場所の、この惑星で起っていることの意味を考えながら、美術大学という場の新たな生成物を見て回る。私は過去に“サイボーグの夢”という展覧会を企画したことがあり、いつも作品をSFの文脈のなかに置いてみる癖があり、そう見て回ることは不自然なことではない。 まずはこの場所、つまり私たちが生きているこの地に特有の“印”をもった作品から眺めていきたい。岩崎由実の絵画は陰影の振幅とほのかな光という“印”をもっている。私たちが油絵具で絵を描こうとするとき、どうしても突き当たる問題があり…

ドローイングとことば−1

未分類

 私が生まれたとき、わたしはいも虫のようだった。  呼吸をしながら声を上あげ、声をあげながら呼吸をした。それがわたしのすべてであって、身動きもままならないいも虫のようだった。まだ、からだというものがなく、ただ呼吸する生きものだった。  そのうち手が生えてきた。手は一本で、食べ物をつかむためにそれを使うようになり、わたしは自分に手があることにふと気がついた。  それから長い長い夢を見て、夢のなかでわたしは初めて別の生きものを捕まえた。生暖かくて、懐かしいような、それでいてなに…

奄美の対話

日常

 12月の半ばに奄美に行った。 「対話」*(註1)の奄美版の可能性を調べるためで、大学の同僚の三澤教授とともにあちらこちらを回ってきた。(三澤さんは今年の夏に「ムサビる!」で学生を引き連れ黒板ジャックを実施、その報道で奄美では知られた存在になっていた。そして次回の可能性の調査のために同行した。)  NPO法人アマミーナを主宰する徳雅美さんのすすめによる訪問であったが、案内してくれたのは事務局の森田さんである。元校長先生だけあって奄美のことを知りつくしている。1953年の日本…

“リアル”はどうして遠いのか?ー藤田嗣治、全所蔵作品展示から

未分類

 随分前のことだが、若い友人に、生きている実感がもてないのでSMクラブに通い“女王様”に痛めつけられてそれを得ている、という人がいた。お金を払ってまでそうせざるを得ないことにショックを受けたが、今の社会のなかで若い人間が格闘している様子がうかがえて妙に納得したことを覚えている。  “リアル”を感じていないと身体が不調になり、ひいては病の引き金にもなるのは当然のことで、“リアル”は痛みを伴うものやたとえそれが困難なものでもよい。いや、たいていの“リアル”はそういったものが含ま…

Dialogue : Is it possible to communicate with the dead?

English Text

Is it possible to communicate with the dead?Even if impossible in a physical sense, is it not possible to bring about a psychic space for communication, such as that created by itako[ 1] at Mount Osore [2] ?While attentive to the distant e…

「Le Meraviglie」(夏をゆく人々)、ヴィヴィアン・マイヤー、そして失敗について

展示コンセプト

  「・・・この世界は終わろうとしている」このことばひとつで映画は俄然輝いてくるのだった。映画Le Meraviglie(メラヴィリエ=不思議、奇跡、驚き。ちなみに日本語版題名は「夏をゆく人々」)の主人公の父がテレビに映されたほんの一瞬で言うことばである。そしてエンディング、この父親が主人公のジェルソミーナに買ってきたラクダを映すカメラが一回りする間に、この一家の家は誰も住んでいない廃屋になっている。いや、この物語自体が存在しなかった、あるいはもうとうになくなってしまった物…

モネは何を見た?ー晩年の連作をめぐって

美術関連

 モネはジヴェルニーの庭がどのくらい見えていたのだろうか? 今回のモネ展には、1923年に白内障の手術をしたあとの視覚異常を矯正するための眼鏡が展示されているが、ここにリアルな説明が加えられている。そこには「左目のレンズは、左右の眼の見え方の違いから生じる二重像を防ぐため、不透明になっている。右のレンズは手術を行った眼のために少し黄色にしてあり、分厚い凸レンズになっている。黄色は青が強く見える状況を改善し、さらに以前より光をまぶしいと感じる問題を解消してくれるものとなった。…

私が生まれたとき・・・Part2(展示風景も含む)

日常

他にもたくさんの文とドローイングがあります。たった2日間の展示ですが多くの人に見ていただきたいと思っています。(なおドローイングの下に掲示した文章はキャプション覧の都合上段落が詰めてあることをご了解ください。) また冊子のデザインはデザイナーの大橋麻耶さんにお願いしました。表紙カバーの薄紙を広げると巻頭のドローイングがでてくるつくりとなっています。鉛筆の灰色の質感がうまくでているので会場でお手に取ってご覧ください。

私が生まれたとき・・・Part1

美術関連

 明日8月8日(土)と9日(日)の両日にわたって「ムサビる!」のなかの一環として「対話ー私が生まれたとき・・・」が展示されます。「大きいゴジラ、小さいゴジラ」もここから生まれました。 今回の展示の趣旨文はすでに展示情報にアップしてあるので、ここではそれ以外の文とドローイングを少し紹介します。会場ではふたつの椅子が対峙し、片方にドローイングと手に取って読む文章のコピーがありますが、それは再現できないのでそのセットをここにのせます。 長尾さんは自分が生まれた戦争時のことを書いて…