
上図は「TSUSHIMAMARU」のための鉛筆下絵。これはすでに取り上げたので、ここでは翌年の戦闘のことを書く。

「シュガーローフの戦い」おもろまち、小緑
以前のブログで新里堅進の「シュガーローフの戦い」について触れたが、その戦争の場は現在のモノレールのおもろまち駅からほど遠くない給水場を中心とした丘である(写真中央の白い建物が給水塔) 自分がたまたま泊まったホテルの最寄りの駅がここになっていて、漫画を読んでからその場所を調べていくうちに、ここがその場所だったのだと知り本当に驚いた。そう思ってから周辺をおもろまち周辺を歩くと風景がまた違って見える。7日間で日米双方で5000人もの死者を出した戦いである。そのうち米軍の死傷者が2600人、日本軍側の推定死者数が数千人(組織的な記録が残っていない)というからその戦闘の凄まじさが窺いしれよう。日本軍はシュガーローフを含めた3つの丘を司令部を守る防衛ラインとしていたから、ここが陥落したことで首里の司令部を放棄、南部への撤退を決定した。そして10万あまりの住民を巻き込んだ泥沼の戦いへと進んでいった。
そんな戦闘が新都心おもろまちの周辺であった。今は高層のタワーマンションがあり、近くに大きなショッピングモールがあり、沖縄美術館博物館もある。すごくないだろうか?あの戦争、あの殺し合いがあった場所、まだ遺骨が埋められてあるかもしれないところに新都心のビル群が建って、その一つのホテルに自分が今泊まっている。あの漫画のシュガーローフの戦いの場面を思い起こす。その激しい肉弾戦と現在の平和的な街の賑わいとの対比にめまいを感じる。そうなんだ。沖縄はジャングリアとかいう娯楽施設ができたみたいだけど、そんなところ行かなくてもすごいところがある。だってそこは疑似体験などではなく本物の戦争があったところなのだから。
ここと関連がある豊見城市の旧海軍司令部壕もまたすごい。かつて、ここにいた海軍部隊の兵士の多くが陸軍によって引き抜かれ、シュガーローフの戦いの最前線へ投入されて死んでいった。彼らはもともと陸上戦闘の専門訓練を十分に受けてないものも含まれていたが急造の歩兵として最も激しい戦闘に投入されたのだ。そして日本軍は敗北する。その後の海軍の混乱と悲劇はこの司令部壕に降りていけばわかる。指揮系統の混乱や軍上層部の無能ぶりもわかる。大田海軍少将ら幹部らの自決の後も生々しい。
かつてここを訪れた時、やたらと米軍の若い兵士やその家族の見学者が多かったのを記憶しているが、それは現在でも変わらないらしい。
