ぬいぐるみが目を借りる、目が見る、五星と叫び
<The stuffed animal borrows an eye><The eye sees><Five planets and scream> 目の三部作から <The stuffed animal borrows an eye> <The eye sees> <Five planets and scream> underpainti…
<The stuffed animal borrows an eye><The eye sees><Five planets and scream> 目の三部作から <The stuffed animal borrows an eye> <The eye sees> <Five planets and scream> underpainti…
Created by overpainting the painting shown below. How to Construct a Painting of "Superposition" Creating the Temporal Base Layer: Construct a painting that serves as a layer of past time. Apply a thin layer of dots or p…
摩文仁の平和祈念資料館の展示から 私が生まれるちょっと前の1945年6月23日、日本軍の牛島司令官、長参謀長が摩文仁の洞窟で自決し、日本軍の組織的な戦闘は終わった。住民を戦闘にまきこんでおいてさっさと自決してしまうのは、いかにも旧日本軍らしい潔さとも見えるが、無責任きわまりない行為でもある。ともかく4月の米軍の上陸から続いた悲惨な地上戦が終わったということで、沖縄県ではこの日を「慰霊の日」としている。 今年も6月、沖縄の地を踏む。数年前ひめゆり平和祈念資料館を訪れたのをはじ…
慰霊の日に沖縄に行く− Ⅰ (2025年6月23日~) 6月、沖縄県立博物館・美術館に行く。城(グスク)を模した建物の左が博物館、右が美術館になっているが、博物館の入り口には沖縄戦争の写真の展示があり、それに引き寄せられるように博物館のほうにまず入った。 沖縄戦の展示が生々しい。ここは米軍が上陸し攻めてきて、日本軍が沖縄の人びとを巻き込んで戦った場所なのだ。 そして博物館のなかは琉球王国から現代まで人びとの生活や暮らしぶりが様々なかたちで展示されていて、外国から来た観光客を…
目をAIに貸すこと、Lending my eyes to AI. AIに絵は見れるのか?どうなんだろうと思ってAIとの対話をやってきた。このやり取りの中でおもしろいと思ったのは、AIは人間のような目を持たず、その代わりにプロンプター(質問者)の目を借りるということだった。もちろんAIも絵を見て分析し、そこに顔を見つけるとか、形が他の何かに似ているといったものを見る目は持つ。しかしそれはあくまでも分析、統計的、座標的な形の見方であって、それは人間が見るもののある一面でしかない…
Memory - Four people laughing 上塗りされた元の絵「記憶ー四人が笑っていた」 形は父権的なものになりがちだ。必要以上に写実に描く絵などはその最もいい例で、美術史の写実の始まりの頃とは違ったものになっている。クールベの写実は、特権階級の「理想化された形」を壊し、泥にまみれた「物質としての現実」を提示するための革命の手段であった。 それに対して、日本的な(行き過ぎた)写実が「父権的」に見えてしまうのは、それが対象を理解することではなく、「対象を細部ま…
「沖縄・1944年・対馬丸」2 <OKINAWA 1944 TSUSHIMAMARU>Ⅱ 二次元物体の絵をつくることは肉体労働である。それは肉体が物質と格闘する作業であって、頭脳労働ではない。もっと全体的なことだ。その根底には人間(生物)と物質(無生物)の出会いがあり、物質をどうするのか?という問いを抱えている。媒介(medium)となるのは絵の具という物質であり、これを通して物質が単なる物質ではないものになることを目指す。 肉体が動いて物質が変…
これは<目の退化>という進化のプロセスなのか? 人間は動くものしか見なくなったようだ。動くものしか見えなくなったのかもしれない。猫のように・・。 新型コロナ以来の動画感染症がSNSを通じて静かにそっと進行しつつある。この場合の動画は電気信号で動いている静止写真も含むが、もっと強い感染力を持ったものとしてeスポーツやゲーム、プロジェクションマッピングなどが挙げられよう。 目は捕食のために発達してきたのだから,猫のように動く生き物を見て素早く反応するのは本能的なものとも言えるが…
Old man with green brain This dialogue is a highly critical and reflective exploration between the Interlocutor (A) and the AI (G), beginning with a visual encounter with a single painting and expanding into a discourse on visual experienc…
下記東京新聞デジタル版はこちらから→https://www.tokyo-np.co.jp/article/476544?rct=bunka 3月22日東京新聞美術評:椹木野衣 長沢秀之「OVER PAINTING」(展示は終了)