慰霊の日に沖縄に行く− Ⅱ(2026年6月21日~)新里堅進さんの漫画

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摩文仁の平和祈念資料館の展示から 私が生まれるちょっと前の1945年6月23日、日本軍の牛島司令官、長参謀長が摩文仁の洞窟で自決し、日本軍の組織的な戦闘は終わった。住民を戦闘にまきこんでおいてさっさと自決してしまうのは、いかにも旧日本軍らしい潔さとも見えるが、無責任きわまりない行為でもある。ともかく4月の米軍の上陸から続いた悲惨な地上戦が終わったということで、沖縄県ではこの日を「慰霊の日」としている。 今年も6月、沖縄の地を踏む。数年前ひめゆり平和祈念資料館を訪れたのをはじ…

慰霊の日に沖縄に行く− Ⅰ (2025年6月23日~) 沖縄県立博物館・美術館 

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慰霊の日に沖縄に行く− Ⅰ (2025年6月23日~) 6月、沖縄県立博物館・美術館に行く。城(グスク)を模した建物の左が博物館、右が美術館になっているが、博物館の入り口には沖縄戦争の写真の展示があり、それに引き寄せられるように博物館のほうにまず入った。 沖縄戦の展示が生々しい。ここは米軍が上陸し攻めてきて、日本軍が沖縄の人びとを巻き込んで戦った場所なのだ。 そして博物館のなかは琉球王国から現代まで人びとの生活や暮らしぶりが様々なかたちで展示されていて、外国から来た観光客を…

Can AI view images? What about you?

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目をAIに貸すこと、Lending my eyes to AI. AIに絵は見れるのか?どうなんだろうと思ってAIとの対話をやってきた。このやり取りの中でおもしろいと思ったのは、AIは人間のような目を持たず、その代わりにプロンプター(質問者)の目を借りるということだった。もちろんAIも絵を見て分析し、そこに顔を見つけるとか、形が他の何かに似ているといったものを見る目は持つ。しかしそれはあくまでも分析、統計的、座標的な形の見方であって、それは人間が見るもののある一面でしかない…

形という父権性 The shapes in the painting appear patriarchal

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Memory - Four people laughing 上塗りされた元の絵「記憶ー四人が笑っていた」 形は父権的なものになりがちだ。必要以上に写実に描く絵などはその最もいい例で、美術史の写実の始まりの頃とは違ったものになっている。クールベの写実は、特権階級の「理想化された形」を壊し、泥にまみれた「物質としての現実」を提示するための革命の手段であった。 それに対して、日本的な(行き過ぎた)写実が「父権的」に見えてしまうのは、それが対象を理解することではなく、「対象を細部ま…

The physical labor involved in creating two-dimensional objects

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「沖縄・1944年・対馬丸」2 <OKINAWA 1944 TSUSHIMAMARU>Ⅱ 二次元物体の絵をつくることは肉体労働である。それは肉体が物質と格闘する作業であって、頭脳労働ではない。もっと全体的なことだ。その根底には人間(生物)と物質(無生物)の出会いがあり、物質をどうするのか?という問いを抱えている。媒介(medium)となるのは絵の具という物質であり、これを通して物質が単なる物質ではないものになることを目指す。 肉体が動いて物質が変…

絵と絵の距離「戦争/美術」展から-藤田嗣治「ブキテマの夜戦」

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 絵画の距離(見る時の)についてはすでに2013/3/15のブログでとりあげたが、絵と絵の距離については今回が初めてである。こんなことを考えたきっかけは神奈川県立近代美術館で開かれていた「戦争/美術」という展覧会を見たからに他ならない。(7月6日—10月14日)  この展覧会には今まであまり見たことがないいい作品が出ていた。画家靉光の紙本淡彩によるうす塗りの人物像や、墨の濃淡が二重像として見える<鷲と駝鳥>など、今まで私が思っていた画家のイメージを覆す作品も多い。丸木俊の紙…