*右の図を下絵として左の絵ができた


絵というのは、表現というよりは見たいという欲望なのだ。それを絵にすることによって見れるものになる。絵をつくる人は初めにそれを見る人、出現したイメージを最初に見ることができる人なのだ。画家というのは後付けの名称みたいなもので、最初から存在しない。見たいものが最初に存在し、そこから絵が始まるのだから、誰でも絵をつくることはできる。原爆の絵を描いた人も戦争の体験を描いた人も、根本にはこの見たいというのがあるから、どんなに悲惨な状況や残酷なものでも絵に描くことができるのだ。
見たい、それは自分がここに生きていることの確認であり証明なのだ。だから絵はたとえ死を描いたとしてもそれは生の方を向いている。これを勘違いすると「暗い絵は嫌いだとか、悲惨な絵は子供に見せてはいけない」とか言うことになって生きていることの豊かさの重要な部分を失うことになる。