C通信9.-ふたたび… Amnesia revisited
少年のような… とりまくひとたち…
少年のような… とりまくひとたち…
死の最前線でたたかったひとびと 一緒にいた友人は次の一節を読み上げた。 「人類は文明を超えて生きのびなければならない。人類は建築や絵画や小説のなかでそのときに備えている。ここで肝心なことは、人類がこの準備作業を笑いならおこなっている、ということである。この笑いはときには野蛮にひびくかもしれない。それでいいのだ。」
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Front line Healthcare workers
一緒に機外に出た友人は、いつの間にか別人になってウイルスのことを説明し始めた。それによると、ウイルスはDNAやRNAなどの核酸が、タンパク質の殻に包まれた構造を持っているが、生物ではないので死ぬことはないと言う。 私は以前見た「アンドロメダ病原体」の映画に出てくる結晶状の構造物と、庭に毎日飛んでくるジョウビタキ(鳥)が合体したようなものを想像した。
ピアノが空中に浮かんでいる。そこからは音と音楽のあいだのようなものが聞こえてきた。だれもがコクーンをはずしてそれを聞こうとした。
街はひとであふれかえっていた。みんな透明なスーツ、通称コクーン(繭)を付けていた。
飛行機は飛び立ってまもなく何も理由なく不時着した。窓からは、かつて遊んだ故郷の川の水の流れが見える。違う!もっともっと大きい川。窓から見ると激しい水の流れと橋のようなものが見える。私は友人と一緒に機外に脱出した。
5月連休明けの神戸KIITOでの展覧会が延期になった。これは世界各地のコロナウイルスの爆発的な感染状況を追いながら、一ヵ月前から自分でも要望していたことでもあるからしかたない。何人かはこのようななかだからこそ、ひとりひとりが見に来る展覧会などはやるべきだと言う。これに対する反論もある。ぼくがとったのは個人的な理由で、感染したらアウトになる事情があったからだ。展覧会を見る立場になれば何も問題はないが、それを設営するとなると、多くの人との共同作業があり、都心に行って、新幹線に…