これは<目の退化>という進化のプロセスなのか?

人間は動くものしか見なくなったようだ。動くものしか見えなくなったのかもしれない。猫のように・・。
新型コロナ以来の動画感染症がSNSを通じて静かにそっと進行しつつある。この場合の動画は電気信号で動いている静止写真も含むが、もっと強い感染力を持ったものとしてeスポーツやゲーム、プロジェクションマッピングなどが挙げられよう。
目は捕食のために発達してきたのだから,猫のように動く生き物を見て素早く反応するのは本能的なものとも言えるが、動く画像を見るのは捕食ではないだろう。これらのシステムは捕食に見せかけた餌を盛った罠のようなものなのだ。人間が作ったこの罠に人間自身が大量にかかっている。それで動かないものを見ることが困難になり、そういう目は一気に退化してきている。
それを助長するように例えばゴッホの展覧会で、巨大な壁に絵の具の凹凸を舐めるように追った動く画像が映し出され、観客の多くがそれをスマホで撮ってSNSにあげていく。
こんなバカなことが現実に起こっているのだから、動かない静止した絵なぞ、見ること自体が難しくなっているのも当然だろう。
動く画像が氾濫しているのだから、むしろ動かないものをじっくり見よう、という方向にはならず、動かない絵を何とか無理矢理に動かして何とか興味をひこう、とそっちの方向に進んでしまう。動かないものを見るには自分が動くしかなく、それには自分の肉体を使ってそこに見に行かなかればならない。石をよく見るには河原に行ったり、岩石だったら露頭に行ったりするが、動く画像を見るときは自分は動かない。そのとき目と手は動くかもしれないがそれはデバイスに繋がれたものでもう自分の肉体ではない。つまり人間は自ら肉体を放棄しているのであって、そういうなかで肉体を使ってつくる絵なぞもう見ることの範疇にない。そのような意味で言うと、絵はもう死んでしまっている。
それでもやはり動かない画像、というより動かない二次元の物体に出会う欲望は消えないだろう。次元を行き来できるからだ。それを絵と呼ぶのかどうかわからないが、肉体を使ってそこにいって自分の目で見ることは存在する。旅のように、景色やそこの人は動かないからこちらから動いて会いにいく。それは動く画像の時間から、肉体の時間を取り戻すことにほかならない。

