C-PAINTING Ⅴ <How to make a constellation- Gabriel>

ふたつを並べて言うのも変だが、デバイス機器も人間脳も2次元像を必要とする。しかしいまは人間脳の側がデバイス側の2次元画像に圧倒的に支配されつつある状況だ。プロジェクションマッピングを見ればその度合いの強さがわかるだろう。万博では3Dの再現画像に音まで加えることに成功して“よりリアルに感じられる“ようになった、と言うニュースが流れていたが、どこがリアルなのか、さっぱりわからない。現実を分解して画像と音で分け、結びあわせただけじゃない・・・と言ってもそれを楽しむ人にはこれは伝わ…

C-PAINTING Ⅳ <Battle field of Memory>

記憶は脳の片隅、あるいは身体の一部でひっそりと隠されている。そしてさまざまな神経細胞の交錯の結果呼び起こされてそれがうっすらと形づくられる。その仕組みは偶然と錯誤に満ちているが新たなかたちを生み出す仕組みでもある。記憶に迫るときにかたちが生まれる。あるいはかたちが生まれるのはさまざまな記憶の蓄積が身体を通して発意されるときだ。 それには脳での蓄積とアクションが必要だ。

C-PAINTING Ⅲ <Girl on Fire – 7.5.3>

&lt;Girl on Fire-7.5.3&gt; 下絵(<1963年七五三>2018年) 絵画は3次元の世界を2次元に変換する。この場合の3次元とはxyz軸にある立体感を持った現実世界のありようだ。しかし現実世界は目に見える3次元の実物の世界だけではない。 絵画は実は3次元以上のことを2次元に表してきたのだ。 あらためて時間を絵に組み入れることはできないだろうかと考える。自分がいまここでやっていること以外の自分の時間、他者の時間を絵に組み入れられたら、絵…

C-PAINTING Ⅱ. <Two Rockers and an Actor>

detail その状態は数年間ずっと続いたが、ドローイングだけは描いていて、そうするなかで体に変化が起こった。C通信でも書いたが、そのひとつはいつも眠る前に多くの人の顔が浮かんでくること、もうひとつは時々ではあるが目を瞑った際にそこに直線的な光が交錯して見えることだった。後者に関しては、以前、細長い三日月のような光が走ったことが何回かあったが、眼科では「そのうち慣れて気にならなくなります」と言うだけだった。 単に妄想や視覚の障害の一種としてしまうこともあり得るだろうが、自分…

C-PAINTING Ⅰ. Who came from 1938 to the present

1938年から今にやってきた <1938年から今にやってきた Who came from 1938 to the present &gt; 下絵 その写真は古本屋の片隅の箱に入れられていた。1938年何月何日の撮影と記されているが、どうしてそれが古本屋の店頭に売り物としておかれるようになったかはわからない。そのひとが1938年からここにやってきたように思った私はそれを買い求め、絵に描いた。描いたと言ってもそこに点状のえのぐのタッチを置いていったのでその写真像は半ば消…

C通信ドローイング終了ー Painting again 絵を再びつくりだす

コロナ禍で始まったC通信ドローイングは、突然ですが今回で終了します。長らくできなかった絵がつくれるようになったのでここから絵をやります。 下絵 絵画の行方・不明 絵画のゆくえという名の展覧会が過去に何回か催されてきた。この場合の絵画とはコンテンポラリー絵画、つまり現代の絵画をさすのだろう。 絵画史に目をやれば、絵画は過去のくり返しではなく、そのときその時代の絵画がつねにつくられ、求められてきたことがわかる。そういう意味での絵画はいつもコンテンポラリーなのである。かつて生み出…

144: THE GAZE OF THE DEAD 死者のまなざし

沖縄の珊瑚の輝きの向こうに、幼くしてなくなったこどもたちのまなざしがあり、そのまなざしの向こうにはガザで殺されたこどもたちのまなざしがある。こちらを見ている。

143: DEAD 子どもたち

ウラシマタロウ 「生き残って助かった177名の人たちは、自分が無事だと沖縄の家族に手紙を書こうとしても対馬丸撃沈のことは絶対に口外しないよう、また手紙のことも近所に知らせぬよう厳しく禁じられたんじゃ。あとで知った家族が怒ることも禁じられたさあ。まったく上の奴らはどこまでバカを通すのか・・」 珊瑚 「生物の生死は宇宙の理で、生あるところに必ず死はやってくる。海の中でも生命循環があって、命が他の命を糧にして生死を繰り返すのはある。けれども人間が武器を持って殺しあうのは宇宙の理か…

142: 1944年対馬丸撃沈事件 1944 Tsushima Maru sunk by submarine torpedo

1944年の8月23日、老人はいまだかつて見たことのない光景を前にする。浜に打ち上げられた何体もの水死体である。 珊瑚 「この海には死者がいまも生きているの。多くの子どもたちが命を失った対馬丸撃沈事件は知っているでしょう。あの子たちの体を構成する原子は海に散らばり、それが私たち珊瑚の原子の一部となってここで生きているのよ。珊瑚礁のひとつひとつの輝きはあの日死んでいった子どもたちの瞳の輝きでもあるの」 ウラシマタロウ 「そうじゃな。わしも時間を飛び越えて生きてるから、1944…