対話「私が生まれたとき」奄美編

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 対話「私が生まれたとき」奄美編の冊子が完成。この展示は9月の「未来の幽霊−長沢秀之展」の一部として開催されるが、冊子は先行しての発行となった。(ただし市販はしていない)  デザインは前回と同じ大橋麻耶さんで、写真をもとにしたドローイングと奄美の人たちの文章で構成されている。写真に映っている人はすべて今はもう亡き人(生きている人でもその写真のその瞬間はもう今はない)で、対話とはそうした亡き人,本当になくなった人の場合は死者、その人たちとの対話という意味である。まず始めに奄美…

ドローイングとことば−1

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 私が生まれたとき、わたしはいも虫のようだった。  呼吸をしながら声を上あげ、声をあげながら呼吸をした。それがわたしのすべてであって、身動きもままならないいも虫のようだった。まだ、からだというものがなく、ただ呼吸する生きものだった。  そのうち手が生えてきた。手は一本で、食べ物をつかむためにそれを使うようになり、わたしは自分に手があることにふと気がついた。  それから長い長い夢を見て、夢のなかでわたしは初めて別の生きものを捕まえた。生暖かくて、懐かしいような、それでいてなに…

奄美の対話

日常

 12月の半ばに奄美に行った。 「対話」*(註1)の奄美版の可能性を調べるためで、大学の同僚の三澤教授とともにあちらこちらを回ってきた。(三澤さんは今年の夏に「ムサビる!」で学生を引き連れ黒板ジャックを実施、その報道で奄美では知られた存在になっていた。そして次回の可能性の調査のために同行した。)  NPO法人アマミーナを主宰する徳雅美さんのすすめによる訪問であったが、案内してくれたのは事務局の森田さんである。元校長先生だけあって奄美のことを知りつくしている。1953年の日本…

“リアル”はどうして遠いのか?ー藤田嗣治、全所蔵作品展示から

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 随分前のことだが、若い友人に、生きている実感がもてないのでSMクラブに通い“女王様”に痛めつけられてそれを得ている、という人がいた。お金を払ってまでそうせざるを得ないことにショックを受けたが、今の社会のなかで若い人間が格闘している様子がうかがえて妙に納得したことを覚えている。  “リアル”を感じていないと身体が不調になり、ひいては病の引き金にもなるのは当然のことで、“リアル”は痛みを伴うものやたとえそれが困難なものでもよい。いや、たいていの“リアル”はそういったものが含ま…

サルセドとヨコトリ

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 “美術”よりは“生きること”、あるいはとにかく生き抜くこと、これがアートいう樹になった果実なのではないかと思う。それは多少苦いかもしれないがリアルな現実としてそこにあり、魅惑に満ちている。広島現代美術館での「ドリス・サルセド展」でもそう感じたし、森村さんのヨコトリでもやはりそう感じた。  モダニズムがもつ“普遍性”という概念は重要だが、始めからそれを頭に置くとそれは美術内での問題となってしまう。“絵画性”をいくら強調してもそれはやはり美術史内での価値なのだ。この矛盾多い現…

下道くん、神ちゃん

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 このところ自分のクラスから出た人をとりあげる機会が増えていますが、これは情報がもっとも入ってくるのでそういうことになっています。  今回は下道くんが愛知トリエンナーレと森美術館「六本木クロッシング」に作品が出品されていることをお知らせしておきます。彼は武蔵野美術大学パリ賞(2007年)でパリに滞在したのですが、その応募の際にもってきたファイルにすでに「戦争のかたち」の原型がありました。それは全国に残っているトーチカ、砲台、格納庫などの戦争の遺物を写真に撮ったもので、イデオ…

金城くん(すばる文学賞)、中野くん(モントリオール映画祭)のこと

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 美大はおもしろい。  もしも宇宙人(地球外生物)が美大に不時着したらその生きものたちはなんと思うだろうか?何か役立つものをつくるところでもないし、かといって想像の世界だけのものでもない。  ここはいったいなんなんだ!と思うにちがいない。思考の実験場のようなものか、あるいは頭のなかのことを実現しようと企んでいる集団がいるところと思うかもしれない。  まあ、そんなところだろう。実際にそれはあたっているし、地球人の自分から見てもそんな実感はある。  いまわたしは自分のクラスから…

「波戸岬のゴジラ」ーワークショップ in 佐賀ー

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波戸岬に行ってきました。  佐賀県の美術教員が主催する美術・工芸講座に参加するためです。 県の美術・工芸高校の学生を対象に7時間(!)のワークショップをやるということや、場所が「波戸岬青少年自然の家」という研修施設ということで尻込みしかけたのですが、よくよく地図を見るとそこは玄界灘に面する九州の突端の地で、「グランブルー」のジャック・マイヨールも来た海があること、透明なイカ料理、有田、伊万里が近い、まだ一度も行ったことがない、などなど好奇心を刺激する要素が多くあり、行ってみ…

The eye of GODZILLA ゴジラの目

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ゴジラの目がつくられるまで 1、アトリエにある空箱やエアパッキンでおおよそのかたちをつくる。 2、ホイップ粘土(液体紙粘土)を水で薄めて水溶液をつくり、それにちぎった新聞紙を浸して1の上にのせていく。 3、彩色する。 4、ゴジラの目が完成。展示詳細はブログの「大きいゴジラ、小さいゴジラ」を参照のこと。

上海リポートー2012

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 大学の交流で上海に行ってきました。(旅ムサin Shanghai )  上海には強烈なリアリズムがありました。といってもそれは描き方のリアリズム(写実主義)ではなく、社会のなかでアートがいかにして生き抜いていくかというリアリズムのことです。国が政治、経済と同じように文化政策としてアートを推進し、それらと緊張関係をもちながらアートシーンが出来上がっていました。作品が流通して、一部の作家たちはますます制作に邁進し、それを欧米の人たちが見に来てまた作品が流通していく、という循環…