多くの人間が植物として生きることになった。

 それは、頭をもたないアセファール宇宙人(C通信.47)への対抗から発生したものだった。“かたち”がなく、見かけは“ご当地キャラクター”に見える宇宙人から身を守るには、こちらもかたちを失うしかなく、まず視覚を失うことでその第一歩を踏み出した。しかし、かたちを失うことはそう簡単にできることではない。ひとつの過程として植物人間になることを選んだ。

 もうひとつの理由は、不死を生きるためであった。正確に言えば不死ではなく、死ねない時代を生きるため、である。すでに人間は死ぬことができなくなった時代を迎えていた(C通信.31) 身体のあらゆる部位が数値化されてPCとつながっていたから、そこから植物へと“生体移行”するのはそんなに難しいことではなかった。植物となった人間は目を失い、そこから得られる多くの情報を遮断し、そのかわり遥かな宇宙と網の目時間とだけは繋がっていった。

 

 目が生命に備わったのはカンブリア紀の5億4400万年前から5億4300万年前の約100万年の間のことである。その根底にはようやく地球に降り注ぐようになった光の存在があるが、生命体は目の誕生以前に、光を受けて水と二酸化炭素から炭水化物(エネルギー)と酸素をつくり出すようになっていた。これは後に植物に受け継がれていく光合成である。そしてもうひとつの生命は光のもとで目を獲得し、捕食者、被捕食者の熾烈な生存競争のなかに入っていくことになる。目は生きるために見分けることから始まった。

 人間は、生命が5億年以上も前に獲得した目を、廃棄しようとしているのだろうか?見分けることをAIに委ね、それが必要なくなったのか?かたちがありながらかたちがない世界。意味がありながら意味がない世界。生きていながら死んでいる世界。そんな世界のなかで植物はひとつの希望となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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