C通信77. 岩にはなを せせらぎに唇を Nose to the rocks

C通信

オレたちはボディーを見つけることができたのだろうか?ひとウサギはそれがないと死者になれないと言った。はたしてオレたちはボディーを見つけてそこにたどりつくことができたのか?オレたちは手を集め、足を集め、腕を集め、骨を集めた。耳を、鼻を、目を、指を集めた。そうして集めた四肢を世界にばらまいていった。そうして死者がいつでもこの地から生まれでることができるようにそれらを正確にばらまいた。同時に時間を組み立て直した。少なくとも線時間を解きほぐし平面上にばらまいた。その時間図では生者も…

C通信75. 生者も死者も The living and the dead

C通信

生者は死者とともにある。死者が生者に取り付いているのではない。死者の空気のなかに生者が息づいている。量子レベルでは生者も死者も変わりなく、ただその秩序が維持されなくなっただけで、宇宙のエントロピー増大という不可避の進行のなかでは両者はつながっている。生きものはすべて物質になる。感情や心をもたない物質になる。物質にとって生者は、輝ける偶然のようなものである。最初の宇宙に水素やヘリウムはあったが他の元素はなく、恒星の爆発や重力によって他の元素が生まれたように、物質は変成し生成す…

C通信74.2 ウラシマタロウの石 A stone in the hand of URASHIMA-2

C通信

 ところがウラシマタロウにはウラシマハナという連れ合いのばあさんがいてその話によれば、ウラシマはもともと漁師で、あるときひとりで漁に出て帰って来なかったらしい。それが何年かあとにひょっこり帰って来たということだ。どこに行っていたのか、本人に聞いてもわからない。ハナばあさんのこともわからず全くの記憶喪失症になっていて、聞く度に違った答えが返ってくると言う。あるときは竜宮城の乙姫さまになってしまったり、ウラシマを運んだカメにまでなる。でも本人は記憶喪失だとは考えていなくて全部ほ…

C通信74.1 ウラシマタロウの石 A stone in the hand of URASHIMA-1

C通信

「この石は、いまから10万年後にできたアセファール宇宙人の頭部石じゃ。アセファール人は2000x年に地球に到来したんじゃが、かたちをもたなかったのでその生態はよくわからなかった。地球では着ぐるみのなかに入ってかろうじてかたちとなっていたんじゃけど、それは着ぐるみのなかに何か別のものが入っているというのじゃなくてな、中身も外見と全く同一のものだったんじゃ。ゲル状のマトリョーシュカというか・・・そういうのでも生きているというのか、わしはわからんがともかく動いて変化はしていたんじ…

C通信71. この惑星に、生者がいなくなっても死者はいる。No life here. Plenty of dead.

C通信

・・・同時に時間を組み立て直した。少なくとも線の時間を解きほぐし平面上にばらまいた。その時間のチャートでは生者も死者も同じところにいる。かたちのないところから見れば、かたちがあるのはほんの始まりの一瞬のように、死者から見れば、生者も始まりの一瞬なのだ。この惑星上に生者がひとりもいなくなったとしても、死者はいる。 星座に手を

C通信70. 時間と石(ウラシマの帰還) Time and stone-URASHIMA TARO 

C通信

カメよりも小さいウラシマタロウは玉手箱なぞもっていなかった。しかしその手にはひとつの石が握られていた。 ところで、われらのウラシマタロウはどこからやってきたのだろう?そしてウラシマタロウとはなにものなのだろう? 浦島太郎が“助けたカメにつれられて”竜宮城に行ったことはよく知られているが、われらのウラシマタロウは海で肺に海水が入り死んでしまったひとなのだ。海で溺れ、肺呼吸ができなくなったのである。だから津波にのまれた大川小学校の子どもたちも、「肺にガラス片が入ったようだ」と言…

C通信69. ドロに目を コンクリートに足を Give eyes to the mud

C通信

競技場には死者のたましいが渦巻いている。それは古代ローマのコロッセオ以来、ずっと続いていて、静かにアスリートを見守っている。観客のどよめきに混じって彼らのどよめきも微かに聞こえよう。最も輝かしいボディーをもつ生者とともに露と消えた死者がそこに集っている。 海の向こうでは殺戮が始まっている。バラバラになった身体は大きな暴力に対抗する。 ドロに目を コンクリートに足を

C通信68.時間を奪う Confiscated time

C通信

新国立競技場の前には国立競技場があり、その以前には神宮外苑競技場があった。2021年10月21日から時間を後ろ向きに遡ること78年、ここで学徒出陣の壮行会があった。時間を競うところで、個々の人間の時間を奪う壮大な儀式があった。時間の収奪は生身の肉体がつくり出す一切の距離を奪い、そのまま理不尽な死へと直結させた。 スポーツの根底にはひとのもつ暴力志向がある。近代スポーツはそれを競技というかたちで死の危険から遠ざけてきた。かつてイタリアのある都市で見た古式サッカーはほとんど暴力…