5月連休明けの神戸KIITOでの展覧会が延期になった。これは世界各地のコロナウイルスの爆発的な感染状況を追いながら、一ヵ月前から自分でも要望していたことでもあるからしかたない。何人かはこのようななかだからこそ、ひとりひとりが見に来る展覧会などはやるべきだと言う。これに対する反論もある。ぼくがとったのは個人的な理由で、感染したらアウトになる事情があったからだ。展覧会を見る立場になれば何も問題はないが、それを設営するとなると、多くの人との共同作業があり、都心に行って、新幹線に乗って、ホテルに泊まって、朝食バイキングをとって、打ち合わせと作業をしてと、さまざまなリスクが増える。他人にとってもそれは同じだろう。また自分ではかかって平気だと思っていても、知らず知らずのうちに家族や他の人に持ち込んでしまう・・という危険性はある。

 これまでに展示に協力してくれたひとたちには感謝のことばを伝えたい。フライヤーのデザインや、展示会場の“掲示板”への感想文掲載を承諾してくれたみなさんには特に「ありがとう」のことばを言いたい。延期は年内か来年になるか現時点ではわからないが、そのときに、またそれらがいきることを望んでいる。

  それにしても、このことばのない国での爆発的なコロナウイルス感染は一体どうなってしまうのだろうと一層の不安をかき立てる。政治指導者がことばを尽くさない。死んだ目、どこを見てるかわからないようなひとたちが原稿を読んでいるだけの答弁を偉そうに繰り返す。国が一大事を迎えているのに、心に響くようなことばひとつとして持てない政治家たちをもってしまった悲しさを思う。オオカミ少年の話のように、普段からことばの意味を破壊してきた彼らのことばは、こういういざという時に通じないのだ。イギリスでもドイツでもフランスでも、一国の指導者がこちらを見て、感情が昂るくらいにことばをつくしてこの危機を訴えているのと対照的である。というかこの国の政治家のこの感じはほとんど異常な現象で、ほとんどエアポケットにはまり込んだ集団のようにも見える。国会の答弁にしてもなぜ普通に質問に答えないのか?なぜ会話が成り立たないのか?なぜコミュニケーションが成立しないのか?見ていて嫌になってしまうから、もしかするとそのようにして一般のひとを政治から遠ざけ、結果としての一党独裁を引き出そうとする深慮遠謀なのかとさえ思ってしまう。

 そのくらい、ことばを破壊してしまった国の惨状はひどく、コロナウイルス以上にこの国に蔓延した病いに違いない。

 ここ数日も世界からは知事や市長の悲痛な声が届く。人工呼吸器が足りない、これがないと患者が窒息死(!)するとか、あまりにリアルで切迫感がある。日本はまだましと言うけれど、ベッド数、人工呼吸器、ECMOやその医療従事者などが少なく、感染者が爆発的に増えて危機に陥る可能性もある。患者数もこれが本当の姿なのか?どこかで隠されたり、オリンピック関連で情報が握りつぶされたりしていないか?と疑心暗鬼になる。

 それにしてもこの国は、あまりにも危機意識がなさすぎる。それは制度としての政治しか存在せず、みんなでつくる政治がないところでのひとつの現われであろう。強い封鎖もなくその合意さえ難しい。もちろんそれはないに越したことがないが、非常時に自粛だけで乗り越えるのは厳しい。コロナ危機が政治を取り戻す機会になればいいと思う。

 毎日、テレビとネットのニュースに釘付けになってしまい、不安におびえる日が続く。長期戦になることを覚悟しなければならない。そんなこともあり、このところ眠りが浅く、REM睡眠のなかなのかうとうとしながら奇妙な夢をみる。これはつながりがあるようだから毎日それを記録しようと思った。以下はその記録である。                                                                  (以下の画像はすべて紙に鉛筆のドローイングによる)