金城くん(すばる文学賞)、中野くん(モントリオール映画祭)のこと

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 美大はおもしろい。  もしも宇宙人(地球外生物)が美大に不時着したらその生きものたちはなんと思うだろうか?何か役立つものをつくるところでもないし、かといって想像の世界だけのものでもない。  ここはいったいなんなんだ!と思うにちがいない。思考の実験場のようなものか、あるいは頭のなかのことを実現しようと企んでいる集団がいるところと思うかもしれない。  まあ、そんなところだろう。実際にそれはあたっているし、地球人の自分から見てもそんな実感はある。  いまわたしは自分のクラスから…

菅亮平と河合真里の展示(トーキョーワンダーサイト)

美術関連

 久しぶりにトーキョーワンダーサイト本郷に行く。長沢クラス出身の菅亮平と河合真里が3階、2階で同時に展示している。こんなことは滅多にない。偶然そうなったらしいのだが、ふたりとも今までの作品は見ているので興味をもって見に行った。まず菅亮平の作品。  実際に作品の前に立つと作品のもつ“空間のサイズ”にめまいを感じる。それはミニチュアの克明な模型を撮った大きな写真なのだがなんか変なのだ。 自分が人間でなくなったような、ネズミや昆虫になったような、いやただの石ころになったような気も…

「波戸岬のゴジラ」ーワークショップ in 佐賀ー

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波戸岬に行ってきました。  佐賀県の美術教員が主催する美術・工芸講座に参加するためです。 県の美術・工芸高校の学生を対象に7時間(!)のワークショップをやるということや、場所が「波戸岬青少年自然の家」という研修施設ということで尻込みしかけたのですが、よくよく地図を見るとそこは玄界灘に面する九州の突端の地で、「グランブルー」のジャック・マイヨールも来た海があること、透明なイカ料理、有田、伊万里が近い、まだ一度も行ったことがない、などなど好奇心を刺激する要素が多くあり、行ってみ…

『心霊教室』

美術関連

  「ムサビる!」への参加は今年ですでに3回目、教室で展示するおもしろさに目覚めてしまったのかもしれない。美術館でも画廊でもなく、ましてや展示空間でもない教室での展示はそこの“場”ならではの展示と発想を必要とする。それがわたしをひきつける理由なのだろう。  その場所の名前そのままに今回は「心霊教室」。わたしの描いた心霊写真的ドローイング(心霊線画!?)に学生から募った言葉を添えてもらうことになった。ドローイングと言葉とのコラボレーションである。  その際にわたしがお願いした…

「熱波」(原題『タブー』)あるいは「現実と幻影」について

美術関連

 ポルトガルが気になる。時代から取り残されたようなリスボンの夜の街。鈍く光ったレールが暗い街角に曲線を描き、そのかなたからごとんごとんと古びたトラムが走ってくる街。夜の街の料理は魚がよい。ヨーロッパの他の国々ほどに脂っこくなく、さっぱりして新鮮である。人も親切で、この国がかつてスペインと世界の植民地を2分したとは到底考えられない。が、時折年老いた人の眼光やその顔に刻まれたしわにかつての栄光の名残が垣間見える、そんな思いを抱いてしまうところだ。   この国の映画はオリヴェイラ…

たまにはクジャクを解放しろ!

日常

 「たまにはクジャクを解放しろ!」というのはなかなかいいことばだ。クジャクがいつも鳥小屋のなかに飼われていることをさしていっているのだが、かつてのピーコックレヴォリューション(*注1)を想起させ、しかもちょこんと“たまには”をつけたのがいい。 「海のバカヤロー!」はかつての青春ドラマの決め文句だけど「小平に海をつくれー!」には地域性とナンセンスがある。 また「ムサビの建物にぜんぶ色をつけろ!」もはっとする。こういう発想はわるくない。塗りつぶすことからなにかが生まれでてくるか…

WATER COLOR

English Text

 These are my works in watercolor.My theme of those works is “surface and the depth”, and I tried to express it in watercolor. At first I spread different watercolors on the paper using water.After drying, I placed the dots from small to l…

「画家の晩年の作品はなぜ狂気をはらむのか?—ティツィアーノ展」

美術関連

 たとえばカラヴァッジョなら、その絵を見て「現代」を感じることができる。絵画でありながら映像的、しかも現実感があることが400年以上の時を経ていながら、それを現代的なものにしているだと思う。 しかしティツィアーノはどう受け取ったらよいのか? ルネッサンスの巨匠、バランスのとれた完璧な絵画、それとも色彩のなんともいえない品のある深さ、などなど。しかしあまりに遠すぎ、あまりに違いすぎる。あまりに違いすぎて取りつく島がない。こういうことは西洋絵画のいわゆる巨匠といわれる画家の絵に…

日常に侵入する「ホーリー・モーターズ」

日常

 レオス・カラックスの「ホーリー・モーターズ」を見た衝撃がおさまらない。  “「日常」に侵入する映画”と言うべきか。  映画はドキュメンタリーでない限り、フィクションであり虚構の出来事なので、現実生活の日常とは一線を画している。それゆえ、作品がどんなに日常の風景を描こうとしてもそれはやはり映画という虚構のなかのことととらえられてしまう。かくしてもっと日常感覚を映画に入れようとするとそれは必然的にドキュメンタリーとならざるを得ない。美術が「日常」をやろうとしてもただ平凡で身近…

ベーコンの犬の絵

日常

Y: ベーコンの犬の絵、見た? H: あの絵すごい、いいよね。マイブリッジの写真をもとにして描いているようだけど、時間を停止させた写真の反対をいくようで、延々とこの時間が続いていくような恐怖があるな。映像に近い感じもある。 Y: だけれどあの絵はガラスが光っていて見づらいよ。 H: そうそう、右に行ったり左に行ったりなかなかよく見えないけどそれもおもしろい。 Y: あれはベーコンの指定なんだろう。金の額縁といい、光ってよく見えないガラスといい「この絵、凶暴につき・・」って感…