「未来の幽霊」展
9月の展示が間近。2013年の「心霊教室」、14年の「絵画のなかのあらゆる人物は亡霊である」の延長上に今回の展示がある。展覧会の名前は「未来の幽霊」。 亡霊とは必ずしも過去からのものではない。現在を生きる誰もが未来の幽霊となるだろうし、未来の時間からやって来る幽霊もいる。いやそうした時間の区分け自体が意味をなさないものなのかもしれない。「未来の幽霊」という題は、絵から見えてくる感情を言葉にしたもの。昨年、栃木県美の山本和弘さんにアトリエに来てもらい、作品を見せてテキスト…
9月の展示が間近。2013年の「心霊教室」、14年の「絵画のなかのあらゆる人物は亡霊である」の延長上に今回の展示がある。展覧会の名前は「未来の幽霊」。 亡霊とは必ずしも過去からのものではない。現在を生きる誰もが未来の幽霊となるだろうし、未来の時間からやって来る幽霊もいる。いやそうした時間の区分け自体が意味をなさないものなのかもしれない。「未来の幽霊」という題は、絵から見えてくる感情を言葉にしたもの。昨年、栃木県美の山本和弘さんにアトリエに来てもらい、作品を見せてテキスト…
Hideyuki NAGASAWA – translated by Jaime Humphreys A photo of my parents. Both my mother, who was 26 when the photo was taken, and my father, who was 28, are younger than I am now. Their gaze is turned to me in the present, as I begin to gr…
対話「私が生まれたとき」奄美編の冊子が完成。この展示は9月の「未来の幽霊−長沢秀之展」の一部として開催されるが、冊子は先行しての発行となった。(ただし市販はしていない) デザインは前回と同じ大橋麻耶さんで、写真をもとにしたドローイングと奄美の人たちの文章で構成されている。写真に映っている人はすべて今はもう亡き人(生きている人でもその写真のその瞬間はもう今はない)で、対話とはそうした亡き人,本当になくなった人の場合は死者、その人たちとの対話という意味である。まず始めに奄美…
赤羽史亮のgFALでの展示が始まった。(6月8日(木)〜7月8日(土)) *画像は展示前の写真 オープニングのアーティストトークは彼の仲間や多くの学生が集まり盛り上がった。ゆるさとリビドーが同居しているところが彼のいいところ。圧倒的なえのぐのエロスはどこからでてくるのか、それを彼に聞いてもあまり彼は答えない。事前の打ち合わせでも「あまり僕は話がうまくないので、質問してください」と言っていたが、こういう作家は珍しい。今まで多くの作家にレクチャーに来てもらったが多くの人が…
赤羽史亮はすごい絵をかきます。来週の6月8日(木)にアーティストトークとレセプションがあります。(私も出る) プレスリリースのためのコメントを書いたので以下に掲示します。 えのぐが歌うこと 赤羽クンのえのぐにはエロスがある。かつて、長谷川利行のえのぐにもエロスがあり、麗子像の毛糸の肩掛けのえのぐにもエロスがあり、ゴッホのえのぐにも、マチスの薄塗りえのぐにもエロスはあった。 絵の具は肉体のものだから、かたちに屈するとエロスを失う。かたちを補強するだけの道具になってしまう。…
「今年もハートの花が咲きました。」 「今年も心臓の花が咲きました。」 「今年もハートマークの花が咲きました」 ブログ再開。
昨年、NYに行った際にたまたま見たハードカバーの画集に目が引きつけられた。「モネとケリー」というClark Art Instituteの展覧会カタログで、それは今から14年前にパリで見た「マチスとケリー」という展覧会を思い起こさせた。マチスとケリーだったら、ドローイングの線の違いが際立っているから展示としてはおもしろい、だがモネとケリーとはあまりにも違いすぎて、これはいったいどういう展覧会なのだろう?と思って、ページをめくるとそこに目を引く絵とことばがあり、私はこれを躊躇…
ヒュー・スコット=ダグラスの展示を栃木県立美術館に見に行く。 倒産寸前の映画館から買い取ったという35㎜劇場映画の予告編映像の断片に手を加えた映像が薄暗い会場に一枚ずつ映し出される。映画という物語の一コマは人であったり、ものであったり、何かの表面であったりとさまざまだ。そこに映画として存在していた物語の断片を一瞬見せて消えていく。暗がりの中で4台あったプロジェクターの前に座り、漠然とこの作品を見ていると“ああ、もう人間は終わったのだ”という思いが頭のなかをふとよぎる。 …
私たちの知覚は、AI(人工知能)の登場によってどう変わるのだろうか?人間でなければできないような知覚方向にシフトしていくのか?それとも知覚の初期 化を反復するのだろうか?そもそも私たちの知覚自体が実はAI的(転倒した言い方だが)であり、それを今再確認しているに過ぎないのか? モランディを見ながらこんなことを考えていた。いつもなら絵の具の官能性のことを感じながら見入っていたところだが、今回の展示では、同時に自分の知覚が問い直される気がした。その根底には人間が何を認識し、何…
この場所の、この惑星で起っていることの意味を考えながら、美術大学という場の新たな生成物を見て回る。私は過去に“サイボーグの夢”という展覧会を企画したことがあり、いつも作品をSFの文脈のなかに置いてみる癖があり、そう見て回ることは不自然なことではない。 まずはこの場所、つまり私たちが生きているこの地に特有の“印”をもった作品から眺めていきたい。岩崎由実の絵画は陰影の振幅とほのかな光という“印”をもっている。私たちが油絵具で絵を描こうとするとき、どうしても突き当たる問題があり…