ふたつを並べて言うのも変だが、デバイス機器も人間脳も2次元像を必要とする。しかしいまは人間脳の側がデバイス側の2次元画像に圧倒的に支配されつつある状況だ。プロジェクションマッピングを見ればその度合いの強さがわかるだろう。万博では3Dの再現画像に音まで加えることに成功して“よりリアルに感じられる“ようになった、と言うニュースが流れていたが、どこがリアルなのか、さっぱりわからない。現実を分解して画像と音で分け、結びあわせただけじゃない・・・と言ってもそれを楽しむ人にはこれは伝わらないだろう。脳の延長にデバイスがあるのではなく、脳はデバイスに浸食され続けている。

これに抗して脳にある得体の知れないものを守るには目を閉じることしかない、という結論にいたるがこれは現実には無理である。SNSをはじめとした画像ラッシュは凄まじく、なかなかそれから逃れられない。現在は圧倒的にデバイス画像が勝っていて、脳や身体のつくる像は負けている。その負けているなかに絵もある。毎日の画像ラッシュに慣らされてくるとその世界がリアルで自分の感じるもやもやした不分明なものなどはいらなくなる。
負けている絵を応援するつもりはないが、デバイス画像に支配されるのはいやだ。これらは脳に巣くう新しいウィルスなのだから身を守るためにたたかうしかない。でもどうやって?
まさか目を閉じることじゃないよね。当たり前すぎるよね。
そう、目には瞬きがある。目を瞑る時間もある。
捕食のために発達してできた目は今や映像の飽食のための器官に成り下がってしまった。かといって、もうモグラにはもどれない。
だから目を開きつつ目をつむるしかないのだ。
そうして見えない目で星座をつくるしかない。