142: 1944年対馬丸撃沈事件

142: 1944年対馬丸撃沈事件

珊瑚

「この海には死者がいまも生きているの。多くの子どもたちが命を失った対馬丸撃沈事件は知っているでしょう。あの子たちの体を構成する原子は海に散らばり、それが私たち珊瑚の原子の一部となってここで生きているのよ。珊瑚礁のひとつひとつの輝きはあの日死んでいった子どもたちの瞳の輝きでもあるの」

ウラシマタロウ

「そうじゃな。わしも時間を飛び越えて生きてるから、1944年のあの日のことはよく覚えている。サイパンが陥落して、いよいよ沖縄での総力戦が避けられないと判断した軍の要請で、政府が戦闘の足手まといになる子どもや女性を九州に疎開させようとしたんじゃな」

珊瑚

「でも子どもたちは「ヤマトへ行ける」とはしゃいでいた」

ウラシマタロウ

「そうなんじゃ、アメリカの潜水艦ボーフィン号が魚雷で日本の船を狙っていたことも、子どもたちの乗船する対馬丸が老朽貨物船で速度が遅く、狙われやすいことも知らなかっただろうな。護衛艦を含む5艘の船団から遅れてしまった対馬丸が悪石島沖で撃沈され、多くの子どもたちの命が奪われたんじゃ。775名もの子どもたちと引率29名もの命が奪われたんじゃよ。これは戦争を実行した大人たちの責任じゃな。アメリカの潜水艦にも責任はあるし、子どもを守れなかった軍も責任ある。みんなで子どもを殺したようなもんじゃ。おまけに事件のあと、軍は箝口令をしいて、残された家族や水死体を見た奄美や悪石島のひとたちにこのことを隠し通した。ほんとうに許せんことじゃ」

珊瑚

「私たちは珊瑚だから動いて見ることはできないけど、自然現象とは違った異変が起こったことはわかったわ。まっぷたつにわれた船から放り出された子どもたちが泣き叫ぶ声が振動として伝わってきた」

ウラシマタロウ

「じつに多くの子どもたちが死んでしまった。そのひとたちのことは生き残った人が話すことでしかわからないが、そのさまはもう酷いもんじゃよ。    救命胴着を着けていて投げ出された11歳の少女が、ふと気がついたら自分のまわりに屍体がごろごろ浮いていたとか、イカダで漂流して太陽と波に曝されて皮膚がただれて赤く黒くむけてきたこと、襲ってくる人喰い鮫のこと。その子はイカダで死んでいく人を目にしたが、率直に“死んでいるのか生きているのか、見分ける力がまだできていなかった”とあとで言っておる。そのくらいまわりで子どもや老人があっという間に死んでいったんじゃ。夜光虫に刺されて痛い思いをしたものや眠気に襲われてイカダから振り落とされてしまうもの、幻覚やそれによる狂気とのたたかい、夜の寒さと昼間の焼け付くような暑さに耐えての漂流、なかにはこの奄美大島まで漂流して助けられた人たちもいたんじゃ。わしは奄美の大和村の出身で昔カメに助けられて帰還したからなあ。そこにたどりついた人たちのこともよく覚えているわい」

珊瑚

「凄まじい体験があったのねえ。珊瑚にとって海の外は死の世界であるように、人間にとって海は死の世界だからね。潜水艦が発射する魚雷はその表面に浮いている船を爆破して死の世界に引きずり込むのだからなんとも恐ろしい」