新国立競技場の前には国立競技場があり、その以前には神宮外苑競技場があった。2021年10月21日から時間を後ろ向きに遡ること78年、ここで学徒出陣の壮行会があった。時間を競うところで、個々の人間の時間を奪う壮大な儀式があった。時間の収奪は生身の肉体がつくり出す一切の距離を奪い、そのまま理不尽な死へと直結させた。
スポーツの根底にはひとのもつ暴力志向がある。近代スポーツはそれを競技というかたちで死の危険から遠ざけてきた。かつてイタリアのある都市で見た古式サッカーはほとんど暴力むき出しのまだ“スポーツ”前の荒々しさもっていた。もっと前には獲った敵の将の頭を蹴って回したことがその始まりとも囁かれた。そして今、からだを失ったEスポーツはそこから遥かに遠く離れ、無害のマトリックスに入る準備をしている。身体機能は視覚と脳内物質の競技へと変換され、わずかな指を中心とするからだの運動はいたって痙攣的だ。しかし、見ている仮想空間では相手をぶちのめしたり殺したりと、暴力満載である。仮想の純粋暴力は無害ということなのか。ある意味では原点に戻っている。 ストライキという最低限の暴力さえも奪ってしまう、安心安全という名のもとのもっと大きな見えない暴力・・・