ロシアの詐欺師の、目に止まらぬ手さばきの一瞬は、死んだ原発事故処理作業員が入れられた鉛の棺の10万年に匹敵する。計測可能な時間は個人にあっては何の不都合もなく伸縮し、その一瞬にこそ永遠が宿るのだ。              さて死者のこたつにひとウサギがいたように、ひとつながりの海にはウミガメがいて時間を伸ばしたり縮めたりしている。その背中にはカメよりも小さいウラシマタロウが乗っている。ウラシマは玉手箱を開けていないからまだ若いままなのだが、このウミガメはゆっくりしているのか早いのかわからない。だからウミガメとウラシマを同時に見ると通常の遠近法が通用せず、大きく見えたり小さく見えたりするのだ。

 

 

 

 

  浦島太郎が玉手箱をみた瞬間に一挙に老人になったのはなぜなのか?彼は仮死状態の夢から覚めたのにすぎなかったのか?とすれば玉手箱とは自らを見る鏡のようなもので、現実に目覚めたということか。それとも光速で旅をしてきて、玉手箱という減速機によって一瞬にしてその土地の時間に戻ってしまったのか?

  いずれにしろ、オレたちがその海岸で出会ったのはたしかにどこかでみたことがあるような老人で、手に玉手箱ならぬ一枚の絵をもっていた。それは室町時代に描かれて大徳寺に伝わる一休和尚像でその老人にそっくりの顔貌であった。   老人が言う。「竜宮はない。そんなものはどこにもない。ただ海の中には“教室”があった。そこに津波で流された大川小学校の子どもたちがいて、その子たちはそこで子どもたちだけで生きていた。そう、漂流教室のようにな。わしがここに来たのも、その子たちのことを家族に知らせるためなんだ。                              実をいうとわしはウミガメのおかげで時間も空間もない2次元を旅して今、3次元のこの姿に戻ったところなんじゃ。2次元世界が時間も空間もないということは体積をもった物体も存在しないということで、それは中国の道教に伝わる縮地法と言ってな、瞬間移動のことなんじゃがこれにも絡む。いまこうやって帰って来て、老人になり、これからもっと老人になろうとしているところなんじゃ」

 たしかにその老人は2次元の像と比べると少し痩せたように見えるがそれは3次元に回帰したために少し細く見えるようだ。一休宗純が死んだのは87歳の1481年のことである。それからもう540年もの時が経っているが、そのひとは近所にいるそのへんの老人のようにひょいとオレたちの前に現われた。