証言E 「1万5千年前に描かれたラスコーの最深部の壁画にロケットの絵が付け加えられたが、現物は残っていない.しかし壁画表面を裏側から見るとこのような姿になる。裏側には表では見えない世界が広がっていて、そこでは過去も未来も、現在を中心とする同心円上に存在する。だからこれは今から1万5千年後に地球を去るひとたちが乗ったロケットの光景なんだ。」

 

ラスコー「井戸状の空間」を壁の向こう側から見た図(C通信27から

 

証言D 「ラスコーの洞窟絵は保存のためにレプリカがいくつもつくられてラスコーⅠ、ラスコーⅡ、ラスコーⅢというふうに、ほんものそっくりのものがつくられた。井戸の図にロケットがつけ加えられたのは、ラスコーⅠでのことだった。もう観光客も来なくなったレプリカの壁面に誰かが描き加えたのか。参考に見にきた関係者かもしれないし、古くなったものを見たかっただけかもしれない。落書きのようなものに誰かが落書きのようなものをつけたしただけのこと。だからこれもそれなりの意味があり、そのときのラスコー壁画に違いないのだ。ただおおもとのラスコー壁画ではないけれど、その時代のラスコー壁画なんだ。

 もっともこの時代には歴史と言うものが存在しないんだ。ひどいもんだよ、人類は歴史を、そしてその記録を捨ててしまったんだ。もちろんその痕跡はアーカイブと呼ばれる記録の貯蔵庫にデータとして記録されているのだけど、誰もそこへは行かなくなった。アクセスもほとんどない。歴史なしにどうして人間は生きられるのかって?動物も植物も歴史なしに生きているだろう。それと同じさ。

 ただ記憶は生物に蓄えられて生き延びるたよりとなる。記録じゃないからね。人間は動植物と違って記憶を内面化できないから、脳を大きくし、そのはてにそれを外部に保存するしかなかった。それが歴史だよ。               歴史を捨てると野蛮になる?いや、そんなことはない、時間から解放されるんだ。過去も未来もなく時間が直線的ではなくフラットなものになるんだ。そこでは人間はより直感的に生きるんだね。ほとんどのことが計算できてしまうというか結末もわかってしまう世界にいるんだから、直感で生きるというのは、人間的というよりは生物的なことだね」