銀河系ができたのが136億年前、太陽や地球は46億年前。バクテリアがそこに生まれたのが20億年前。その時間に比べれば生物の生と死のくりかえしはほんの最近のできごとにすぎない。数百万年に及ぶデボン紀の“波打ち際”での生物の死があり、陸に上がる生物たちのあるものは海に引き返し、あるものは陸に上がった。ラスコーの祈祷師はまだ人間ではなく、その死さえもない。死ははらわたを出した野牛のほうにあった。人間が死ぬようになったのはそれからのことである。

 

 

 2000年、ローマ在住のロシア人詐欺師。かれは、テーブル上の3枚の同種の木札を素早くタッチして動かし、そのうちの裏にマークがあるものを観客に当てさせる。そして金額を賭けさせる。ここまではそのタッチと札の移動を追っていけるので問題はなく、見ている人は誰でもその木札を当てられる。ところが賭ける人が決まり、詐欺師は金額を聞く。賭け人は“これはもうけ!”とばかり高額の金を賭け、次の瞬間財布を開けて紙幣を見る。その一瞬、詐欺師は目にも留まらぬ早さで木札の位置を変えてしまう。こうして賭け金は詐欺師のものになる。一瞬の盲点。これを脇で見ていた観客がその仕組みを見抜き、挑戦する。今度はその木札を指で押えながら財布を開ける。ところがどうしても最後の瞬間、紙幣を見てそれを取り出さねばならない。その一瞬に詐欺師の腕が冴える。ひとが瞬きするうちに世界は変わる。

 

 

 もうひとつの時間。

机の上に写真とドローイング用の紙をおく。写真を見ながら絵を描こうとする。しかし、写真に写っている対象物を見ていたらドローイングは進まないし、描いているときは対象物は見ることができない。コンマ何秒の短い時間のなかでも記憶はつくられ、変形する。あるいは描く手のうちで変形がおこり誤算が生じる。自分と他者、自分と世界との衝突。

 1万7千年前のラスコ―洞窟で絵が描かれるまでにはもう少し時間がかかった。ラスコー人は昼間、狩りで見た動物の姿を顔料を使って再現した。見ることと再現することの間に特別な時間が存在する。それは囚われの時間である。

 モネの晩年の、ジヴェルニーでの作品は時間が溶け出している。それは視覚を失った人が開眼手術の後に初めて見る世界の記述に似ている。世界はまだ判然としない。

 そのモネに影響を受けたエルスワース・ケリーの「Tableau Vert」は生物が視覚を獲得する前の“視覚とはいえない視覚”の光景に近い。こうして視覚の先端はその原初に接続し、時間がループする.こうしたループが頻繁におこると、時間の遠近感はうすれていく。

しかしなぜ緑(Vert)なのか?これは記憶と関係しているのではないか?

 

Tableau Vert

 

 色彩は感情ではなく記憶と関係しているのはないか。色素ではなく回折格子として。

 

 

*C通信総覧はこちらから⇒ https://nagasawahideyuki.net/news/2825.html