待望のアートトレイスプレス第2号が出ました。特集には山田正亮さん、インタヴュー記事として宇佐美圭司さんが載っています。

この数年の間に相次いで鬼籍に入ってしまいましたが、お二人ともにわたしにとっては尊敬する大切な師でした。さきにも書いたように宇佐美さんは大学で10年近く一緒にやってきた同僚でもあり、絵画論をぶつけた師なのですが、山田さんは画廊で知り合った画家としての先輩、そして師でした。

 山田さんとの思い出はたくさんあり、そのことばにさまざまな影響を受けたひとりですが、真っ先に思い出すのは、新宿のゴールデン街です。ギャラリーで作家のオープニングがあると、その二次会をやり、そのあと決まってゴールデン街の「クロちゃん」に行き、夜中の2時3時ころまで絵や何かの話をしていました。

 Tさん、Nさん、Fさん、Kさんなどがその常連で、さながらその場は「山田さんを囲む会」の様相を呈していました。といっても絵画論をたたかわせるようなものではなく、そういう方向になると山田さんは『まあいいから飲みなさい』と言って話をはぐらかすようなところがありました。それでも絵はもちろんのこと、映画の話、愛の話、それから世間話と話題はつきることなく延々と続き、その膨大な時間の中で山田さんがとんでもなく重要なことをぽつりと言うときがあり、そうした瞬間が楽しみで話を続けていたような気もします。

 山田さんはいくら飲んでも頭脳は明晰で、ほかの人たちが酔ってしまっても、ひとり覚醒し、遥か先を見ていたような気がします。それはある種の闇だったのかもしれません。当時の若いわたしたちにとっては、韜晦そのもの、なかなか姿を見せてくれないのですが、長い時間のなかでその深い意味がふとわかる、そういう大人の振る舞いをもったひとという印象でした。

 そして帰るときに、これも決まって「ラーメンでも食っていこう」となり、そのあとタクシーを拾い、ぼくらは山田さんのアトリエのある国立に行く途中のところまで便乗させてもらいました。

 こんなことを何回繰り返したことでしょうか。それは確かに夜しか存在しない場で若い作家たちが山田さんと一緒に話をする貴重なひとときでした。絵の話といっても、それは絵の色気とかそういうことが中心の、言ってみれば「芸術の果実」のようなことを、批判も交えながら延々とやっていたのです。批評のことばではとらえにくく、感じるしかないところを話すこと、それだけでも山田さんの存在の意味は大きなものがありました。私は今でもそれを絵の原点のひとつと考えています。