飛行機に乗っていればほんのちょっとだけ未来に行ける。と言っても地球一周で0.000000059秒だから、成田から奄美に行ったとしてもそれは0がさらに追加されるくらいの、そんな未来だ。

 でも人間はそれを実感することができる。ほとんど想像域の話だが肌で感じることは重要だ。タイムカプセルが発明され たとしても、ではなぜそこに行くのか、それがないことには時間旅行しても意味がない。飛行機に乗ってどこかへ行くのはいつもワクワクすることだが、それにはこのほんのちょっとの未来時間への突入感が関係しているのだと私は思っている。

 

 「サ〜ンフランシスコのチャ〜イナタウン〜♫」

うーん、知ってる、知ってる。この唄は小さい頃よく聞いた歌謡曲だ。1950年の渡辺はま子の歌で、50年代、60年代に紅白でも歌われていたくらいだから口ずさむくらいによく覚えているのだろう。ここはいったいどこなんだ?

 加計呂麻島の実久(さねく)三次郎祭の奉納相撲のあとの土俵の下での余興の踊りに流れていた曲である。祭とともに敬老会も一緒になっているからこうした過去のヒット曲を流した踊りも飛び出すのだろうが、それにしてもこの時間のスリップ感は気持ちよい。実際に過去に行くには、高速以上の早さの乗り物に乗るか、ワープするしかないが、飛行機とフェリーとレンタカーを乗り継いで行けば、ほんの少し過去にスリップできる。

 今、という時間は崩せないが、島には別の時間が流れている。こうして親と子の裸の奉納相撲があり、フラダンスがあり、昔の歌が流れ、もっと昔の島唄にあわせて二人の踊り手が舞う時間がある。それが祭りだけでなく敬老会をかねているところがいい。村長さんはかなりだぶだぶの背広を着て、来賓の客の挨拶に飛び回っている。(鎮西八郎為朝が琉球に渡る時に実久に立ち寄ったという伝説があり、地元の娘と為朝の間に生まれたのが実久三次郎である。島の入り口にその神社があり、祭りはそこから出発した)

 

 この夜、奄美のお店で私たちの話は盛り上がった。

 そして話も終盤のころ、私は里国隆さんのことを、その日集った奄美の友人に聞いてみた。彼は竪琴で島唄を唄う盲目の奏者、唄者だった。私は前回、ここに来た時にふと見かけたCDアルバムでこのストリートシンガーを知り、その写真が写真家の濱谷浩によって、1963年に沖縄の那覇で撮影されたものであることを知った。路上に空き缶をおき、大きな竪琴を抱えサングラスをして唄う姿がそこにある。街角を行き交う人々は全く見向きもしない。その写真に引きつけられて買ったCDを聞いたときの驚きと言ったら、これは言葉では表せないくらいのものだった。竪琴の音が一気に時間を遡り、神話とも言っていいような時間に人をもっていく。そこにうなるような、さりとて弱くはない、むしろ色気と艶のある声の唄が重なって何とも言えぬいい味を出している。こんないい男の唄者がいたとは。(下の写真はそのCDジャケットから)

 彼は「乞食の国隆」と呼ばれていたそうだ。放浪芸である。今から見たら豊かで貴重な時間がそのCDのなかに詰まっている。もちろん奄美の人たちはよく知っていて、現在ではその竪琴に惹き付けられたモリシマさんという人が、これを再現して唄っていることも話してくれた。

 それにしても竪琴というのはなぜこうも私を惹き付けるのだろうか?ボロローンとそれが奏でられたとき、なぜ私はいにしえの時代の真ただ中にたたずんでいるような気になるのだろうか?楽器の原始的なはじまりがそこにあるからか、それとも南の空気の振動のせいなのか、それはわからない。

 

 このところ連続して見る夢がある。それは脱出の夢である。私は大きな四角い建造物のなかにいて、そこをあと何時間後かに脱出しなければならない。四角い建物は外部から見ると、透き通っていて何もないが中は迷路になっている。そこから出る方法は3つしかない。ひとつは自力であちこち回りながらなんとか出口を見つける方法で、これは実際にやってみたがそれでは時間が間に合わないことに気がつく。もうひとつは自分をそこに同化させる方法で、これはうまくいったが脱出したという実感は得られなかった。三番目の方法は死である。そこで死ぬことによって、そもそも脱出するということを無にできると考えたが、ことはそんな単純なものではなかった。死は幾重にも重なっていて、死んだあとにまた生きて死ぬ、そのことの連続でできているので脱出を無にすることはできなかった。

 

 なぜそんな夢を見るのか?私には確信がある。徳之島で闘牛を見たせいである。

 闘牛前の牛の肌は黒くつややかに光り、筋肉がぶるぶると引き締まってウォーウッと吠える。前足で土をけりながら角を立てて突進する。

 そうした闘牛の牛がピカソのミノタウロスを喚起し、おそらくはそこから夢が迷宮へとつながってくるのだろう。ミノタウロスとは、ミノス王妃と白い牡牛との間に生まれた、頭が牛で体が人の怪物である。成長するにつれて粗暴になり、手に負えなくなった彼は迷宮に閉じ込められる。それをテーセウスが生け贄にまぎれて迷宮に侵入して倒す。ピカソはミノタウロスに自らの性の横溢と暴力的とも言えるエネルギーを重ね合わせていたに違いない。

 しかし、今の私にはそんなエネルギーはない・・いや、そういう話ではない。徳之島の闘牛は牛と牛のたたかいであって、スペインの闘牛士によって殺される闘牛とは大違いだ。多少の血を見ることはあっても相手が尻を向けて逃げたら勝負ありだから、こちらの方がよほど自然の理に沿っている。牛とともに人がたたかい、喜んでいる。

 

 ところが私はそんな牛を見て迷路の夢を見ているのだ。

 老いるということは迷路に入ることなのかもしれない。若ければ英雄テーセウスのようにアリアドネの糸を頼って迷宮から脱出してこの世に帰ってくることもできようが、私は今、そこを住処としてやがて訪れる死の時間に備えているのだ。それは悲しくもなく、つらいことでもない。ただただそのようなまれな時間にいることをありがたく思う。

 その時間とはアリアドネの糸のように明快ではなく、もっとほつれて絡み合いこんがらかった糸の時間である。徳之島の闘牛から迷宮に行ってしまう時間であり、ゴジラから奄美の金作原原生林への時間であり、シュノーケルによる海中の死の世界を覗く時間である。

 

 私の前に一本の道がある。まっすぐな道の真ん中に立ってその消失点と空を見る。ここは第二次世界大戦末期に特攻機が飛び立った滑走路だったところだ。こんなに生命がみなぎる島から20才、あるいはそれにも満たない少年兵が次々と死へ向かっていった。一本の明快な論理(糸)に導かれるようにそうした行為が行われた。私は忠魂碑に黙祷するとともに、当時の体制に呪詛の言葉を投げつけずにはいられなかった。

 

 私はまだ半分生きている。厳かな島の夕暮れがその証明になるだろう。

「この島は神さまが住まう島ぁ、今日はこれでおしまーい・・・」どこからか道化役者の口上がかすかに聞こえてくる。すべてが今終わろうとしているが、私は半分生きている。