8月の終わりに仙台に行き、写真洗浄のボランティアをやってきた。ボランティアと言っても、これは私の写真への関心があってやっていることだから、厳密にはそのことばが当たらないのかもしれない。とにかく「写真洗浄」の現場に行ってそれをやってみたかった。

 

 その日参加の人たちはすべて初心者で、特定非営利活動法人事務局のTさんからどのようにしてこの活動が始まったか、DVDを見ながらの説明を受けた。部屋にはいたるところに乾燥のための写真が掛けられていて、なかには一部分しか残ってないネガやほとんど判別のつかないプリントもあった。壁の前のスチールの収納ケースには被災したアルバムがページごとに洗濯バサミで挟み分けられて、開いたまま乾燥できるようになっている。その量の多さ、変化してしまった物質の異様な存在感に圧倒される。

 

 ぼくの組は、6月の豪雨による土砂流被災地から送られてきた写真をふたつの洗面器を使って洗浄することになった。プリントの大半は周囲が水や土砂をかぶってかたちが溶け出すように変化している。まず柔らかい筆を使って拭くと、この周りの変成部分が流れ落ちて白くなり、中央の人物部分はそのまま残る。たいていの写真は、人が中央に映っているからその部分は洗っても消えずに残り、周囲の白も画像の縁取りのように残る。この作業をその日10時過ぎから4時まで繰り返しやった。

 

 写真というのはおそろしく個人的なものである。そこに映っている人を私は知らない。けれどもその当事者、友人や家族は洗浄された写真を見て多分全く違った感情をもつことだろう。カシャッと映ったその瞬間の思いや雰囲気がそこから立ち上ってくることだろう。しかし、もしかするとその写真の人物はもうすでにこの世になく、その映っている姿しか、想像する手がないのかもしれない。いや、たとえ存命であろうとそこに映っている人たちはその時間とともにもうそこにはいないのだ。

 

 おびただしい写真は過去の時間の中に沈み、最近被災したことによってここに運ばれて私の目の前にある。私はそれを見て水でその表面を洗う。私にとってそれは思い出ではなく、今見ていることの、ここに(私が)いることの、確認の作業なのだ。

 写真が撮られた時間とそこに映っている人たちの時間があり、その写真に被災した泥水の時間が重くのしかかる。その上にうっすらと、全く他者であり偶然でもある私の洗った時間が重ね合わさる。無名のいくつもの生がそこにしるされる。その幾重にも重なった時間に私も参加させてもらったのだ。錯綜し、重ね合わさった時間。(あるいは窃視症、闖入者の時間でもある)

 

 <消滅してしまった存在の写真は、あたかもある星から遅れてやってくる光のように、私に触れにやって来るのだ。撮影されたものの肉体と私の視線とは、へその緒のようなもので結ばれている。光は触知できないものであるが、写真の場合、光はまさしく肉体的媒質であり、一種の皮膚であって、私は撮影された男や女とそれを共有するのである。>(「明るい部屋」ロラン・バルトから)

 

 昼休みに部屋を一回り見ていて、ふと一枚の写真に目が引きつけられた。

 それは水分でひどく変成してしまい、プリントのほぼ中央部分、2センチ四方の部分しか判別できない写真で、そこにはスナップ写真によくありがちな何気なくこちらを見ている女性の顔があった。そのほかの回りは写真のゼラチン質が溶け出して、放送後のテレビ画面のように無機的な粒子模様になっている。その模様部分があまりにも大きく、小さなその顔はまさにそこに飲み込まれんばかりであった。それがあたかも遠い惑星から届けられた、ある最後の瞬間を示すように静かにそこにある。

 「あなたはだれなのか?」

 「ノイズのなかにかろうじて姿をとどめるあなたはすでに亡くなった人?」

 「それとも生きている?」

 写真は何も答えてくれない。それどころか、その問いは向こうから私に向けられてやって来るようにも思える。

 写真に映っている彼女からすれば、それを見ているこの私はその時よりも未来の時間にいる。だからそこからそのように問うてくることはありえないことではない。時間が錯綜している。ここでは写真が写された時間と、それを見る私の現在の時間に、被災の時間が割って入ってきている。私はひとりの人間、あるいは自分の最後のときを見たような気分になった。もちろん写真はそこにいつも死を引きずっているからこれも理由のないことではないが、そのようにして死のかたちを見ることは今までになかった。

 

 私が見ている写真の中の人物がこちらに問い返してくる、それはそこにまなざしがあるからだ。私は多分写真の中にまなざしを求めている。写真の中のまなざしはいつも未来の誰かを見ていて、この時は私がそこにいて目が合った。

 

 私たちはカメラの前に立って映されるとき、カメラを見ているのではない。未来の誰かを見ているのだ。その未来の誰かは現在の私でもあなたでもありうる誰かなのであり、もっと不特定のすべてのひとでもある。まなざしは私から見た過去の、そこからの未来に向けられたかすかな光の束なのだ。何光年もかかって届いたそのもとはもう存在しないかもしれない光のごとく。

 

 写真洗浄の翌日、私はこのNPOの近くに位置する荒浜小学校を訪れた。ここは震災の遺構として仙台市が建物を当時のままに残しているところだ。建物は4階建てで2階天井いっぱいまで津波が押し寄せてきたらしい。しかし校長らのとっさの避難指導で小学生たちは全員屋上に避難して無事であった。当時のヘリコプターから撮った映像を見ると巨大な津波の流れが押し寄せて、この学校の周りを凄まじい勢いで流れていくのがわかった。まるで「漂流教室」のようにそこだけが次元の違う世界に孤立していた。屋上に上がってみると校庭の先は何もない広大な草むらだったが、そこには小学校のこどもたちが生まれ育った集落があったということだ。あの日の津波で集落はあとかたもなく消えてしまっていた。こどもたちと何人かの避難してきた住民たちは、ここから自分たちの住んでいるところがなくなっていくさまをどのような気持ちで見ていたのだろう。800戸近くの地区の約180人が犠牲になったという。

 そして4階の教室にはそこのこどもたちの集合写真もあった。

 

 こどもたちは屈託なく笑っていた。人々が住まう日常の集落の写真とともに。

こどもたちの目、明るく笑っている目は、あの日この屋上からこの津波に流されていく自分たちの家々を見ていた目そのものなのだと思うと何とも妙な感情がわき起こった。それは、写真は非情なまでに即物的なものだと思うと同時にその裏にある物語を読もうとすればそれは全く違ったものに見えてくるというものだった。

 おそらくこどもたちは、今は大人になってこの町、あるいはどこか違ったところに住んでいることだろう。ここは現在居住禁止区域なのだ。

 そんな何もない荒野にぽつんと鉄筋コンクリートの小学校があり、教室は津波に襲われた際の土砂がこびりついたまま廃墟となっている。私が立って見ているここは、こどもたちが大人になった現在の時間と、かつての荒浜小学校の時間と、消えた集落の時間が複雑に絡み合っている現実なのだ。

 

 まなざしとはただの視線とは違って時間を含むものである。私は写真をたどりながら今、風景にまなざされてもいる。時間が錯綜する。過去と現在と未来が行き交う時間・・・まなざしが生じるのは私が今、ここに生きている現在である。