141: 石化した若い兵士と埴輪 Petrified young soldier and Haniwa

天草地方に若い兵士の石像がいくつかある。保存会の話によると、出征した兵士の姿がそのまま残されているという。地元の石工によって、日中戦争に出征したそのひとをなぞるようにつくられた石像で、苔や地衣類に覆われているが、その顔などを見ると若くてまだあどけない表情をもっている。20代そこそこに出征したのだろう。直立不動でかなたを見ている。似ているから身近な人が見たらどこそこの誰さんとわかるらしい。10数体あるが、その多くが凝灰岩でできている。戦地に散った市井の戦士の像。これは神話の像…

C通信: 140 Amrita, NMN,ニコチンアミドモノヌクレオチド

大海を攪拌してもアムリタはなかなか現われなかった。ヴィシュヌ神の助けをへて神々はふたたび乳海を攪拌し、アムリタを獲得しアスラたちとの戦いに勝利を収める。 ここで重要なのはアムリタを飲んだのが神々(一部のアスラも飲む)だったということだ。神々は世界、宇宙の生成に関与するから死ぬわけにはいかない。一方、現代ではニコチンアミドモノクレオチド=NMNが老化を止める薬として実際にサプリとして販売されている。これはサーチュインという長寿遺伝子を活性化させる働きがあり、その効果がハダカデ…

C通信139: 乳海攪拌 ( The Churning of the Sea of Milk )

Asra is cozied up. He is more attractive than the figure of the gods on the left. They are all pulling together with the tail of the Vaski dragon king. Asra is considered a demon god against the god race, but this is said to be because he …

C通信138:それを信じ、それを想うことが宇宙とつながっていたころのこと The Churning of the Sea of Milk, AMRITA

神々とアスラ(阿修羅)は長く続く戦いに疲れていた。ヴィシュヌ神がブラフマー(梵天)に言う。 「神々とアスラの両者で大海を攪拌すれば、不老不死の霊薬アムリタを得ることができるだろう・・・」 そうして神々は、攪拌棒としてマンダラ山を引き抜いて海に運び、大蛇ヴァースキ竜王をそれに巻き付け、神々とアスラはその端を引っ張ってマンダラ山をぐるぐる回して大海を攪拌し始めた。 The gods and Asura were tired of the long drawn out battl…

C通信137:阿修羅 (ASURA) Asura in a pomegranate

阿修羅は仏教では仏法を守る八部衆のひとりだが、もともと古代インドのアスラ(生気、気力の意)は天界に住む善神であった。インドラがアスラの娘を奪ったことで両者は戦い続けることになり、アスラは戦闘神として天界を追われることになった。 (三つの顔をもつ阿修羅が柘榴の衣をまとっている。腕のひとつの摩耶夫人の右脇から釈迦が生まれた)

C通信136:恒星では・・・

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恒星では、何百万年もかけて水素が凝縮され、やがて核融合が起こり水素からヘリウムがつくられる。ヘリウムからは核融合によって炭素ができて・・・核融合は鉄ができるところまで続く。太陽は46億年も水素の核融合によって光と熱を出し続けているが、それでも消費された水素は1%ぐらいだという。 50億年後、太陽はその大きさが今の200倍の赤色巨星となり、地球も飲みこむ。白色矮星から黒色矮星となって光を失い冷えた星となる。太陽より重い星は、寿命を迎えると超新星爆発を起こす。超新星爆発が起こる…

C通信135:牛波

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牛はいる、波はある。The wave is inanimate and the cow is animate, but at the subatomic level there is no difference between the two. 生物と無生物を”いる”と”ある”で分けているが、宇宙を構成する原子レベル、素粒子レベルで見たらその違いは消えるだろう。

C通信133: 牛宇宙

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牛が宇宙に向かって啼いている。牛は草を食み、乳をつくる。

C通信FILE:C-TRANSMISSION DRAWING展は7月6日(土)まで(終了)     アセファル宇宙人について

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アセファル宇宙人 「アセファル」には頭がない。バタイユは言う「首長なき共同体、頭なき共同体を求めることは悲劇を求めることなのだ。つまり首長を死なしめること自体が悲劇なのである」バタイユはファシズムの荒れ狂うこの時代(アセファルの出版は1936から1939)に新たな「共同体」を考えていた。 悲劇とはニーチェの「悲劇の誕生」からの援用で、そこではギリシア悲劇のアポロ的なものとディオニソス的なものが語られ、「アセファル」ではとくに形象をとる以前のディオニソス神の側面が強調される。…