C通信-4. 生物と無生物 The new coronavirus is not a living organism.

C通信

一緒に機外に出た友人は、いつの間にか別人になってウイルスのことを説明し始めた。それによると、ウイルスはDNAやRNAなどの核酸が、タンパク質の殻に包まれた構造を持っているが、生物ではないので死ぬことはないと言う。 私は以前見た「アンドロメダ病原体」の映画に出てくる結晶状の構造物と、庭に毎日飛んでくるジョウビタキ(鳥)が合体したようなものを想像した。    

C通信-1. 不時着 Emergency Landing

C通信

飛行機は飛び立ってまもなく何も理由なく不時着した。窓からは、かつて遊んだ故郷の川の水の流れが見える。違う!もっともっと大きい川。窓から見ると激しい水の流れと橋のようなものが見える。私は友人と一緒に機外に脱出した。

展覧会の延期(*その後8月に中止決定) C(コロナ)通信

日常

 5月連休明けの神戸KIITOでの展覧会が延期になった。これは世界各地のコロナウイルスの爆発的な感染状況を追いながら、一ヵ月前から自分でも要望していたことでもあるからしかたない。何人かはこのようななかだからこそ、ひとりひとりが見に来る展覧会などはやるべきだと言う。これに対する反論もある。ぼくがとったのは個人的な理由で、感染したらアウトになる事情があったからだ。展覧会を見る立場になれば何も問題はないが、それを設営するとなると、多くの人との共同作業があり、都心に行って、新幹線に…

記憶について<対話「私が生まれたとき」神戸ー25年あと(未来)の記憶ー>展によせて

展示コンセプト

  この世は私たち生きている者だけの世界ではない。あなたのなかにはおじいちゃんやおばあちゃんがいて、かつての自分もいることだろう。私たち生者は死者とともにある。言葉や絵、およそつくられたすべてのものが、生きている人たちだけではなく死者にも向けられている。もしもそれらが生きている人たちだけのものとすると、それは単なる癒しのもの、趣味のもの、うすっぺらな美しいものだけになってその豊かさを失うだろう。 原爆の図にしても、生きている私たちにその惨状と作者の感情を訴えるとともに死者に…

TRANS- グレゴール・シュナイダー <<美術館の終焉−12の道行き>>を見る

日常

 アートはどこかで現実にコミットしていなければ生きのびていけない。だから今、アートは極めてむずかしい立場に立っている。趣味の世界の「アート」は相変わらずもてはやされているが、括弧のないアートが成立するのはここ日本ではむずかしい。 ところが奇跡のようにここでアートが成立している現場を見た。神戸TRANS−展でのグレゴール・シュナイダーの&lt;&lt;美術館の終焉−12の道行き&gt;&gt;と題された展覧会。全部で12箇所の展示があり、それぞ…

シュノーケル

日常

ぼくが今でも毎年シュノーケルをやり続ける理由。それはひとの時間と接する死の世界を体感できるから。 海のなか、色とりどりの珊瑚に荒波が押し寄せ、さまざまの魚が群れ集うそこがどうして死の世界なのか?黒々とした海草が、海水の流れにいっせいになびくのはたしかに不気味だが、どうしてそれが死の世界なのか? その理由は、海のなかではひとは生きていけないから。シュノーケルはひとが生きていける世界と生きていけない死の世界との境界にある。むこうの世界に棲む生きものは、逆に海から出たら生きていけ…