C通信−2.コロナスーツ通称コクーン Corona Suit (Cocoon)
街はひとであふれかえっていた。みんな透明なスーツ、通称コクーン(繭)を付けていた。
街はひとであふれかえっていた。みんな透明なスーツ、通称コクーン(繭)を付けていた。
飛行機は飛び立ってまもなく何も理由なく不時着した。窓からは、かつて遊んだ故郷の川の水の流れが見える。違う!もっともっと大きい川。窓から見ると激しい水の流れと橋のようなものが見える。私は友人と一緒に機外に脱出した。
5月連休明けの神戸KIITOでの展覧会が延期になった。これは世界各地のコロナウイルスの爆発的な感染状況を追いながら、一ヵ月前から自分でも要望していたことでもあるからしかたない。何人かはこのようななかだからこそ、ひとりひとりが見に来る展覧会などはやるべきだと言う。これに対する反論もある。ぼくがとったのは個人的な理由で、感染したらアウトになる事情があったからだ。展覧会を見る立場になれば何も問題はないが、それを設営するとなると、多くの人との共同作業があり、都心に行って、新幹線に…
この世は私たち生きている者だけの世界ではない。あなたのなかにはおじいちゃんやおばあちゃんがいて、かつての自分もいることだろう。私たち生者は死者とともにある。言葉や絵、およそつくられたすべてのものが、生きている人たちだけではなく死者にも向けられている。もしもそれらが生きている人たちだけのものとすると、それは単なる癒しのもの、趣味のもの、うすっぺらな美しいものだけになってその豊かさを失うだろう。 原爆の図にしても、生きている私たちにその惨状と作者の感情を訴えるとともに死者に…
アートはどこかで現実にコミットしていなければ生きのびていけない。だから今、アートは極めてむずかしい立場に立っている。趣味の世界の「アート」は相変わらずもてはやされているが、括弧のないアートが成立するのはここ日本ではむずかしい。 ところが奇跡のようにここでアートが成立している現場を見た。神戸TRANS−展でのグレゴール・シュナイダーの<<美術館の終焉−12の道行き>>と題された展覧会。全部で12箇所の展示があり、それぞ…
ぼくが今でも毎年シュノーケルをやり続ける理由。それはひとの時間と接する死の世界を体感できるから。 海のなか、色とりどりの珊瑚に荒波が押し寄せ、さまざまの魚が群れ集うそこがどうして死の世界なのか?黒々とした海草が、海水の流れにいっせいになびくのはたしかに不気味だが、どうしてそれが死の世界なのか? その理由は、海のなかではひとは生きていけないから。シュノーケルはひとが生きていける世界と生きていけない死の世界との境界にある。むこうの世界に棲む生きものは、逆に海から出たら生きていけ…
飛行機に乗っていればほんのちょっとだけ未来に行ける。と言っても地球一周で0.000000059秒だから、成田から奄美に行ったとしてもそれは0がさらに追加されるくらいの、そんな未来だ。 でも人間はそれを実感することができる。ほとんど想像域の話だが肌で感じることは重要だ。タイムカプセルが発明され たとしても、ではなぜそこに行くのか、それがないことには時間旅行しても意味がない。飛行機に乗ってどこかへ行くのはいつもワクワクすることだが、それにはこのほんのちょっとの未来時間への突…
8月の終わりに仙台に行き、写真洗浄のボランティアをやってきた。ボランティアと言っても、これは私の写真への関心があってやっていることだから、厳密にはそのことばが当たらないのかもしれない。とにかく「写真洗浄」の現場に行ってそれをやってみたかった。 その日参加の人たちはすべて初心者で、特定非営利活動法人事務局のTさんからどのようにしてこの活動が始まったか、DVDを見ながらの説明を受けた。部屋にはいたるところに乾燥のための写真が掛けられていて、なかには一部分しか残ってないネガやほ…
サイトの作品のページ、Paintingsを更新しました。今まで過去作としてきたものを80年代作品と90年代作品に分け、それぞれ30点ずつをアップ。また同年代の小品も掲示しました。 以下はそれに関連した展示のお知らせです。 関西の国立国際美術館では11月3日(土)から来年1月20日(日)まで「ニューウェーブ 現代美術の80年代」が開かれる。趣旨にあるように“1990年代、2000年代と下るうちに、どのように変化していったのか”が見れるといい。 私の考えでは80年代は絵画の“…