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2012 Sep 11 | 展示コンセプト
イレズミはたぶん痛い。 刺されたボディは痛がっている。それでも皮膚はそこに新たな絵が刻まれることを待ち望んでいる。それは生まれたままのものではなく、ゆがんだ表面を獲得する。 過去の「名画」にイレズミを・・・

2012 Sep 09 | 展示コンセプト
この展示(*注1)は「大きいゴジラ」と「小さいゴジラ」でひとつの教室を埋め尽くす、というものです。 「大きいゴジラ」は、1954年の映画「ゴジラ」*(注2)を もとにしています。戦後まもない時期につくられたこの映画・・・

| カタログテキスト
俵屋宗達と本阿弥光悦による「蓮下絵百人一首和歌巻」という江戸時代の名品がある。宗達が蓮の葉や蕾、花などを描きそのうえに光悦が小倉百人一首の和歌を書いたものである。ふたりの共同作業による傑作としては「鶴下絵三十六歌仙和歌巻・・・

| 展示コンセプト
「不忍池図」小田野直武 “これは空なのか、それとも地(背地[バック])なのだろうか 小田野直武の「不忍池図」*1を見たときの衝撃は今でも忘れることはできない。「不忍池図」には“おくゆきはなぜできるのか・・・
2010 Sep 09 | カタログテキスト
長沢秀之はいうまでもなくタッチとストロークによるマチエールの画家である。この意味において長沢は”ペイン タリー”を絵画の主調音とするモダニスト・ペインティングの正統な継承者である。だが、このモダニ・・・
2009 Sep 09 | 展示コンセプト
1993年の個展のパンフレットに、わたしは次のような言葉を書きました。 画家は一個の盲目者である。 画家は見ることと、見ることの断念との間にある。 絵画という窓は、画家⇔盲目者という往復運動の通過点(門)である。 画家は・・・

2009 Sep 08 | 展示コンセプト
「いつの頃から身体がなくなってしまったのか記憶にないんだけど、つくづく身体がないなと思ったんですね。」(押井守) 私たちはもうサイボーグ になってしまったのだろうか? パソコンやケータイのディスプレイを通じて、視覚は・・・
| 美術関連
一般の人にとって、「アート」はおもしろいのだろうか? いわゆる現代美術の「絵画」はどのように受け取られるのだろうか? 川越市立美術館から個展の要請を受けた時に、漠然と抱いた不安はそのようなものであった。これは、今までの画・・・