『心霊教室』
「ムサビる!」への参加は今年ですでに3回目、教室で展示するおもしろさに目覚めてしまったのかもしれない。美術館でも画廊でもなく、ましてや展示空間でもない教室での展示はそこの“場”ならではの展示と発想を必要とする。それがわたしをひきつける理由なのだろう。 その場所の名前そのままに今回は「心霊教室」。わたしの描いた心霊写真的ドローイング(心霊線画!?)に学生から募った言葉を添えてもらうことになった。ドローイングと言葉とのコラボレーションである。 その際にわたしがお願いした…
「ムサビる!」への参加は今年ですでに3回目、教室で展示するおもしろさに目覚めてしまったのかもしれない。美術館でも画廊でもなく、ましてや展示空間でもない教室での展示はそこの“場”ならではの展示と発想を必要とする。それがわたしをひきつける理由なのだろう。 その場所の名前そのままに今回は「心霊教室」。わたしの描いた心霊写真的ドローイング(心霊線画!?)に学生から募った言葉を添えてもらうことになった。ドローイングと言葉とのコラボレーションである。 その際にわたしがお願いした…
ポルトガルが気になる。時代から取り残されたようなリスボンの夜の街。鈍く光ったレールが暗い街角に曲線を描き、そのかなたからごとんごとんと古びたトラムが走ってくる街。夜の街の料理は魚がよい。ヨーロッパの他の国々ほどに脂っこくなく、さっぱりして新鮮である。人も親切で、この国がかつてスペインと世界の植民地を2分したとは到底考えられない。が、時折年老いた人の眼光やその顔に刻まれたしわにかつての栄光の名残が垣間見える、そんな思いを抱いてしまうところだ。 この国の映画はオリヴェイラ…
たとえばカラヴァッジョなら、その絵を見て「現代」を感じることができる。絵画でありながら映像的、しかも現実感があることが400年以上の時を経ていながら、それを現代的なものにしているだと思う。 しかしティツィアーノはどう受け取ったらよいのか? ルネッサンスの巨匠、バランスのとれた完璧な絵画、それとも色彩のなんともいえない品のある深さ、などなど。しかしあまりに遠すぎ、あまりに違いすぎる。あまりに違いすぎて取りつく島がない。こういうことは西洋絵画のいわゆる巨匠といわれる画家の絵に…
絵をつくる時の距離、これは絵を見る時の距離でもあるのですが、これに関しての論はあまり見たことがありません。山本和弘氏がわたしの絵画に関して書いた論文『無限層の絵画、あるいは豊かな絵画』がそのことに関して言及したのが2008年のこと、写真や他の分野などにとってはむしろ身近な問題なのかもしれませんが絵画に関してはあまり聞いたことがありません。しかしわたしにとっては重要な問題です。 絵に接近してかいているときに見ているものと、少し離れてみたもの、さらにもっと…
この絵は2009年に始めたものですが、完成までに3年間とちょっとかかってしまいました。と言ってもその間これにかかりきりというわけではなく、一年経って加筆、また少し経って加筆をして、できたのが2011年になってしまったわけです。こういうことはあまりないのですがこの作品は大きい(259x259cm)ということもあって落ち着く地点がわからなかったのです。その間絵を回転して現在の天地が逆になったこともありました。そして一年寝かせておいてようやく完成となりました。題名は「皮膜9」(m…
五美大展の最終日、2月24日(日)に国立新美術館3階講堂において「今、社会と美術を考える」というシンポジウムが開かれました。今年の展示の幹司校が武蔵野美術大学ということで、美術系の学科が中心となって決めたテーマです。モデレーターに田中正之教授(美術館・図書館館長)、パネラーに池田光弘、手塚愛子、中崎透、冨井大裕らの若手美術家を迎えての企画でした。 主催者側の簡単な紹介のあと田中氏がこのようなテーマを“なぜいま考えなければいけないのか”“美術に社会性はあるのか、それは社会…
絵画は可動だから、その場特有の、その場でなければあり得ないということは基本的にはあり得ないのだが、グレコなどやはりその生きた土地トレドで見なければ意味がないという偏った考えをわたしは持っていた。だから日本でやっているのを見たくない、でもやっぱり見たい、という複雑な心理状態があってじっとしていたのだがやっぱり初日にのこのこ出かけてしまった。 今回の展示の特徴は、世界からグレコの小さい作品が集まっていることだろう。なるほどこれならここでやる意味がある。すこし宗教を離れて気楽…
「Crime & Châtiment」(罪と罰)展、「C’EST LA VIE! VANITÉS DE POMPÉI À DAMIEN HIRST」(セラヴィ、虚無、ポンペイからダミアン・ハーストまで)展、「CARAVAGGIO」展のこと 以前に書いたブログのなかで、「Crime & Châtiment 」展(「罪と罰、ゴヤからピカソまで」、2009年にパリのオルセー美術館で開かれた美術展)のことにちょっと触れたのですが、そのことへの質…
ムサビ卒展が始まりました。現場からそのいくつかを取り上げます。 下野薫子の絵画からは、展示空間にいい風が行き渡っているような印象を受ける。今までの試行錯誤を吹っ切って最後はあっさりと“いい瞬間”を捕まえた。このように絵が描けたらいい、とおもわせるストロークは少しも閉じることがない。 古賀一樹の絵はどこか変だ。普通に見かける人や光景を描いているのにどこか変なのだ。そばに近づいてみるとえのぐも妙にしっかり塗ってあって楽しめる。その変な全体がいいと思う。 佐藤貴恵の絵画には…
①の図は庭に飛んできた百舌(もず)を記憶で描いたものです。私の頭にはその飛んで来た時の、“映像のようなもの”が残っていますがこの絵のような姿はしていません。周囲に木があってその下の枝のさきにもずがとまっていたという“映像のようなもの”があって、描かれた像(イメージ)のようなものではないのです。ところがそれを思い出して描こうとすると、目のところがサングラスみたいになっていたとか、足が短かったとかその見た時の記憶が呼び覚まされ、ひとつの像が出来上がります。それは“映像のような…