岩崎由実「スチール」

美術関連

油絵研究室スタッフ研究発表展#5「スチール」      岩﨑 由実 | Yumi Iwasaki2017年12/4 (Mon) – 12/14(Thu)   11:00 – 17:00会場:2号館1階FALとてもいい展示になっています。以下、展覧会に寄せた私のコメントです。 油絵の具で絵を描こうとするとき、どうしても突き当たる問題があり、それはその物質性の問題であったり、風土の問題であったりして、そのまま西洋絵画の技法を応用しようとしてもうまくいかない。 岩崎は生キャンバス…

PAINTING 未来の幽霊 [mirainoyurei]動画

美術関連

未来の幽霊ー長沢秀之展 Ghosts of the Future の制作映像をアップしました。(展覧会会場で流れていたもので、画面を回転しながら描く過程を記録し、動画とした。)

未来の幽霊ー長沢秀之展 Ghosts of the Future 会場展示風景

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 未来の幽霊 会場:一階アトリウムⅠは1980ー1990年代の風景シリーズから、展示室2は対話「私が生まれたとき」(2015年)、対話「私が生まれたとき」奄美編 (2016年)、「心霊教室」(2013年)のドローイングからなる。 二階展示室3は「PAINTING on Painting」(2012年)、「絵画のなかのあらゆる人物は亡霊である」(2014年)、「未来の幽霊」(2017年)からなる。

ごじら考

日常

敗北からの想像力  1954年のゴジラ映画は、戦争に敗北した側からでて来た想像力なのだと思う。もちろんそれは映画にあるように、水爆実験によって古代の巨大生物が蘇ったものとも言えるし、多くの人が指摘するように第二次世界大戦で太平洋に散った日本軍兵士の亡霊と見ることもできる。第五福竜丸に代表されるマグロ漁船が被爆した、その当時の不安の現れでもあろう。  そこから生まれた想像力は戦争に敗北したからこそ生まれてくる独自のものであって、決して勝者の想像ではない。いや、むしろ想像力とは…

「未来の幽霊」展

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 9月の展示が間近。2013年の「心霊教室」、14年の「絵画のなかのあらゆる人物は亡霊である」の延長上に今回の展示がある。展覧会の名前は「未来の幽霊」。  亡霊とは必ずしも過去からのものではない。現在を生きる誰もが未来の幽霊となるだろうし、未来の時間からやって来る幽霊もいる。いやそうした時間の区分け自体が意味をなさないものなのかもしれない。「未来の幽霊」という題は、絵から見えてくる感情を言葉にしたもの。昨年、栃木県美の山本和弘さんにアトリエに来てもらい、作品を見せてテキスト…

赤羽史亮の絵画ームサビgFAL

日常

   赤羽史亮のgFALでの展示が始まった。(6月8日(木)〜7月8日(土)) *画像は展示前の写真 オープニングのアーティストトークは彼の仲間や多くの学生が集まり盛り上がった。ゆるさとリビドーが同居しているところが彼のいいところ。圧倒的なえのぐのエロスはどこからでてくるのか、それを彼に聞いてもあまり彼は答えない。事前の打ち合わせでも「あまり僕は話がうまくないので、質問してください」と言っていたが、こういう作家は珍しい。今まで多くの作家にレクチャーに来てもらったが多くの人が…

OILY YOUTH 赤羽史亮の展示

美術関連

赤羽史亮はすごい絵をかきます。来週の6月8日(木)にアーティストトークとレセプションがあります。(私も出る) プレスリリースのためのコメントを書いたので以下に掲示します。 えのぐが歌うこと  赤羽クンのえのぐにはエロスがある。かつて、長谷川利行のえのぐにもエロスがあり、麗子像の毛糸の肩掛けのえのぐにもエロスがあり、ゴッホのえのぐにも、マチスの薄塗りえのぐにもエロスはあった。  絵の具は肉体のものだから、かたちに屈するとエロスを失う。かたちを補強するだけの道具になってしまう。…

サイ・トゥオンブリの写真と霊媒、あるいはモネとケリー

日常

 昨年、NYに行った際にたまたま見たハードカバーの画集に目が引きつけられた。「モネとケリー」というClark Art Instituteの展覧会カタログで、それは今から14年前にパリで見た「マチスとケリー」という展覧会を思い起こさせた。マチスとケリーだったら、ドローイングの線の違いが際立っているから展示としてはおもしろい、だがモネとケリーとはあまりにも違いすぎて、これはいったいどういう展覧会なのだろう?と思って、ページをめくるとそこに目を引く絵とことばがあり、私はこれを躊躇…

栃木県美にヒュー・スコット=ダグラス展を見に行く

美術関連

 ヒュー・スコット=ダグラスの展示を栃木県立美術館に見に行く。  倒産寸前の映画館から買い取ったという35㎜劇場映画の予告編映像の断片に手を加えた映像が薄暗い会場に一枚ずつ映し出される。映画という物語の一コマは人であったり、ものであったり、何かの表面であったりとさまざまだ。そこに映画として存在していた物語の断片を一瞬見せて消えていく。暗がりの中で4台あったプロジェクターの前に座り、漠然とこの作品を見ていると“ああ、もう人間は終わったのだ”という思いが頭のなかをふとよぎる。 …