1993年の個展のパンフレットに、わたしは次のような言葉を書きました。
画家は一個の盲目者である。
画家は見ることと、見ることの断念との間にある。
絵画という窓は、画家⇔盲目者という往復運動の通過点(門)である。
画家はこの窓を通して視覚を失い、また逆にそれを獲得する。(以下略)*注1
そして、2006年の個展「メガミル」のカタログには次のような文を書き付けました。
ワタシガ見ルノデハナク、眼ガミル。
認識ノ方向デハナク、認識ノ外ノホウヘ。
脳内ヘノ書キ込ミヨリハ、ムシロ、ソノ外部ヘノカキ込ミ。*注2
私は、絵画の究極は、見えないことなのではないか、ということを予感していました。しかしそれは直感であり、感じてはいるのだけど、うまく言葉で表しき れないものでした。現在もその延長にあるのですが、絵によりそいながら出てきた言葉が以下のものです。
見る(認識する)ことの第一歩が、見たものをあるがままに映した私の目の網膜上の形成だとしたら、絵画とは、“知りえない世界”を結実させた、それが誰かさえわからない者の網膜上の“形成物”のようなものです。
前者の見ることにおいては、私の網膜上の刺激が視神経を通して脳につながり、そこから認識が生じるのですが、後者においては、その“網膜”をもっている者が特定できないので、認識そのものが成立しません。
しかし、その“者”はけっして超越的なものでもないし全く不明のものでもありません。あえて言うならば、それは無数の生きている眼(*注3)のことで あって、先述のメガミル(眼が見る)の眼のようなものです。私が見ていないにも関わらず、それらの眼は見ているのです。(私が見ていることの無効、わたし の盲目)
私という主体は、そもそも絵をつくる時に排除されているのではないでしょうか?
そこに関わるのは、あくまでも一個の眼であって、私ではない。私は眼のないもの、眼を取られたものとしてそこにあるに過ぎません。
そうやって、手さぐりで“形成物”がつくられ、成立したときに、私は再び眼を取り戻し、それを絵として見ることができるのです。私は最後に、ひとりの観客(見る者)としてその絵の前に立つことができるのです。
注1:1993年 南天子ギャラリーSOKOでの個展パンフレットより
注2:2006年 アート・トレイス・ギャラリーでの個展「メガミル」のカタログより。
注3:無数の生き物の器官としての目、ミミズから監視装置の目までもが含まれるだろう。