地図はどちらを上、どちらを下と見たらいいのだろう。もちろん東西南北はあり、普通は北が上となり、南が下となるのだろうが、これも実際のところ根拠はない。たぶん飛行機のパイロットはこのことを一番よく知っているはずで、地図を上下なく、つまり地球規模で見ることができる人たちなのだろうと思う。
そんな見方を今から200年も前に可能にした人がいる。伊能忠敬である。彼のつくった日本地図は大図、中図、小図とあるがその中図の展示が国立博物館であった。(8月17日まで)
絵のように美しくきれいな地図である。色味の印象は薄い桃色と山の黄緑、それから海の青いグラデーションである。それは現在の地図と違い、天上の視点だけではなく、地上から山並みを見ているような視点も含まれる。(図参照)
だから見ていて目がくらむような心地よいめまいをおぼえる。こんな体験はあまりないだろう。もちろん多くの古い地図が、自分がそこに正対していることを中心に描かれているから、全体として多数の視点が混在したものとなり、それが現代の目からすると奇異でおもしろく見えるというのは少なからずある。 それらと伊能図はどう違うのか?
伊能図はそのような古い地図とは比べものにならないくらい正確であり、にもかかわらずそこに絵が描いてあることが特徴なのだ。その測量の実際を読むと、一行には何人かの絵師が同行し、そこから見た山並みや町並みの様子を測量に基づいて描いていったということである。
この時代の「絵」というのは今の絵の概念とはかなり違っていたように思う。時代を見ていくとちょうど司馬江漢が生きた時代と重なり、その生きた期間には私の好きな小田野直武も入っている。西洋から絵が入ってきて、自分たちがもっているものや、ものの見方との矛盾を乗り越えながら、今までにないものをつくっていった時代なのである。杉田玄白の解体新書につけた解剖図は、原書の図譜を見て小田野直武が毛筆で描いたものであるが、その不思議な新鮮さはここにあげた伊能図とも共通するものがある。それはひとつの新しい世界がそこに開けて見えるという実感のようなものである。あるいは世界のありのままの姿が絵(線を引くこと)によって明らかになるという実感だろうか(註1)
もう少し時代が経てば、北斎の肉筆風俗画(註2)も出てくる時代である。それは今までの平面志向と、新しい考えである陰影の相克に突き当たったがゆえの時代の傑作である。
これらのできごとはこの時代の特徴であるが、その視点の豊かさは今でも充分通用する。失われてしまった視点ではあるが、それが現在から見れば混乱や錯誤とともにあったことが興味深い。これらを一掃してしまったから現代の視点は単純になったとも言える。
そのようなことを思いつつ、伊能図をひっくり返して眺めてみる。手前のこちらの世界を中心としてみれば向こうの世界は逆さで外部だが、向こうを中心として見れば今度はこちらの世界が逆さとなり外部になる。世界は自分のいる位置によっていかようにも変化する。決して一定ではない。(図参照、これは最初の図を拡大し上下を逆転したもの)
このような“ここ中心”ではない世界観はどのようにして生まれてきたのだろう?
天動説が主流の世界で、月の住民から見たらほかの天体、つまり地球は動いて見えるとした「ケプラーの夢」は17世紀に書かれたものだが、それに共通する想像力を伊能忠敬もまた持っていたのかもしれない。その究極の欲望は、この地球の姿を知ることだったと何かの本に書いてあった。飛行機も宇宙船もない時代にそのような想像をしていた人がいたことに驚かざるを得ない。
伊能図はそのような意味で、“想像力”の図である。それは、いかに現代が単一な思考や視点に支配されているかを思い起こさせてくれる豊かさを持っている。
註1)実際に杉田玄白は腑分け(解剖)に立ち会い、その原著図譜との符号に感動したということだ。その精密さを目の当たりにし、毛筆で写し取っていく小田野直武の驚きもいかばかりであったことか、その力量とともに感心せざるをえない。
註2)北斎(正確には北斎工房(推定))の肉筆風俗画は、その多くは長崎の出島に滞在したオランダ商館長が発注したもので、江戸の風俗が陰影のある色彩で描かれている。版画の平面彩色とは違い西洋画の技法を取り入れた絵であり、2007年には江戸博でオランダ国立民族学博物館とフランス国立図書館から里帰りした作品展示があった。