C通信ドローイング終了ー Painting again 絵画再開

C通信ドローイング終了ー Painting again 絵画再開

2025年3月12日

コロナ禍で始まったC通信ドローイングは、突然ですが今回で終了します。長らくできなかった絵がつくれるようになったのでここから絵をやります。

<TWINS>

絵画の行方・不明

絵画のゆくえという名の展覧会が過去に何回か催されてきた。この場合の絵画とはコンテンポラリー絵画、つまり現代の絵画をさすのだろう。

絵画史に目をやれば、絵画は過去のくり返しではなく、そのときその時代の絵画がつねにつくられ、求められてきたことがわかる。そういう意味での絵画はいつもコンテンポラリーなのである。かつて生み出されたものではなく、今の絵画とは何なのか?を問い、絵画の問題を問う、それが絵画のゆくえという名の展覧会のおおまかな趣旨でもあろう。

ところがもはやそうした問いが無効になり、絵画の問題さえ消えていこうとしている。どうしてそうなったのか。

1980年代はニューペインティングの嵐が吹き荒れて、世界各国で新たな絵画をつくり出そうというムーブメントが高まったときだ。日本も少し遅れはしたもののこの動きは同じように起こった。これは60年代くらいから始まったミニマリズムや、それらを批評的にささえるフォーマリズムの行き詰まりの結果ともいえる。この時代の美術雑誌では「平面か絵画か」といった議論がたびたび取り上げられ、イリュージョンの否定や、四角い表面やえのぐによって成り立つ絵画の形式が内容を規定してしまう不可避性が絵画論として議論され、広く絵画の困難と可能性が語られていた。つまりそこには絵画の問題があった。

展覧会や美術ジャーナリズムをにぎわすそうしたテーマが共有され、作家たちもそこで議論をたたかわせ、批評もそれに応じた。こうしたことが全世界的に起こったのである。

さらに1990年代はそのようなアートの問題が共有された時代の成果として読むことが可能である。形式の呪縛から逃れつつ、それぞれの作家が独自の、むしろ共有されえない領域へと踏み込んでいくことになる。(—1995年にはオウム事件と阪神大震災が起った−)

そうして2000年以降に開かれた、アートのいくつもの細い道を各自が歩み始めたときに、共有された絵画の問題はどこかに消えていったように思える。作家たちは、世界共通の絵画の問題からもっと身近な自分の問題に目を向けざるを得なくなった。共有したと思った絵画の問題自体が幻想だったのかもしれない。そんな問題はアートのごく一部のもので、気がついてみると自分のところで起こっていることに目を向けていなかったのだ。(−アメリカの核の傘に守られながら平和主義を標榜せざるを得ない独立国家は身近な問題に気づきにくい−)

そうしたなかで起こった東日本大地震と福島原発事故が美術の立地点をより一層意識させた。絵画はファインアートという純粋領域もしくは聖域につくられるものではなく、現実と何らかのかたちで切り結ばねば成立しないものになった。絵画は現実と向き合い始めた。皮肉なことにそうして絵画はつまらなくなった。小さな現実、身近な現実に向き合いながら絵画は趣味のひとが描くのと何ら変わりなくなったのだ。

絵画はそこからどこへ行くのか?

と、ここで絵画小僧が侵入、彼は言う。

「なに言ってんのじいさん!絵画なんて行方不明でいいじゃないの。画廊じゃ絵画はよく売れているよ。絵画のゆくえなんて言って、絵画の問題をぐたぐた言ってるヤツはそれこそ幻想に取り付かれているんだ。こっちから見りゃあ、絵画の問題が世界で共有されていたこと自体がおかしいぜ。あのさあ、アフリカだってアボリジニだって絵画の問題に関係なく動物の絵を描いたり、土地にまつわる自分たちの絵を描いているじゃない。絵画の歴史はあるけど、それはあくまで結果であり、あっちのことなんだよ。なんで日本はかつての浮世絵などの伝統から、ミニマリズムやフォーマリズム、あるいはシュポールシュルファスとかに入っていけたんだ?明治以降の西洋美術の吸収と勉強があったにせよ、ちょっと飛躍し過ぎじゃないの?」

絵画がつまらなくなったのは、多くのひとがそれを必要としなくなったということだ。文学の世界でも大きな問題としての文学はなくなったと誰かが書いていたが、それでもやはり文学賞はあるし月刊誌もあり、多くのひとがそれを必要とし注目もされている。美術はその比ではい。

もう絵画の歴史は終わったのだ。そのあとには大きな問題もなく、絵画の問題もない。そこは個人的な趣味の世界でしかなく、しかもそれは果てしなく広がっている。いや、否定的に言っているのではない。今絵を描くというのはそういうことなんだと言っている。

絵画小僧

「批評も甘い!リヒターのまんまパクリとか、山田正亮のストライプを縦ストライプとか。オレのトモダチはフォーマリズムゾンビと言ってたけどな。いまはなんでもありのなんでもナシなんだな」

・・・・次回へ続く