C通信 102: 会話 つづき

C通信 102: 会話 つづき

ひとの姿をとらないときのアセファル宇宙人

アセファル宇宙人

 「だから、問題はこれを受け取る側にあるんだ。生成AIがつくった線なり絵を好む人間もでてくるだろう。人間のもつ曖昧さや微妙さを嫌う人も必ずいる。

 それよりもむしろ体を失う事態が急激に進行しているから、そのような傾向は自然なのかもしれないな。生成AIの発達と体を失うことはパラレルに進行していくことなんだ。アセファル惑星でも同じことが起こり、一部のものはそうした事態に抵抗して脳第一主義をやめたんだ。脳の延長方向だけのデバイス開発をやめて、身体のすべてのところに意思が存在するという仮説を立てて、さまざまなデバイスの開発に着手した。この時に量子コンピューターが開発されて実用化したんだ。量子コンピューターでは0か1の計算式ではなく0にも1にもなる曖昧な量子の振る舞いを利用するからね。でもにんげん人がやっているようにこれを計算する方向には使わずに未完のままにしておいたんだ。しかしそれに耐えられなかった。最速計算ができるものがあるのに、言わば誤作動の池に浸かってそれを使わないと言うんだから。誰かがちょっとでもこの計算の魅力に引き込まれたとき、止めていた堰が切れたんだ。あっという間のできごとさだったね、そうしてアセファルは体を失い、かたちを失ったんだ」

「これはそうだな、にんげん人の世界でたとえれば映画「ミッションインポッシブル」で「エンティティは0か1のソフトウェアではなく、死をおそれる虫か赤ん坊のようだ」とおかしなことを言っていたけど、案外これに近いかもしれない。ビッグデータを学習し、正確さとスピードを備えた生成AIの方向はあくまでも最適公約数をつくるしかなく、曖昧なところは排除される。カオスや誤作動、偶然性はAIはわからない。でも死をおそれる虫か赤ん坊のような存在はカオスや誤作動、偶然性のかたまりだ。なぜなら体があるからさ。これを生成AIに組み込めるのだろうか?もちろん現実の多くの生活、たとえば新薬、新素材の開発やテクノロジー分野でそれは重要になっていることは事実だ。そうした現実の計算可能な分野を超えて生物の最も複雑なソフトウェアをつくろうとしてもねえ・・・そこまでは組み込めない・・・」

絵描き志望

 「受け取るほうのからだがなくなるというのは言えてるね。それにものをつくる作業は体とともにあるから、体を失ったとなるとつくるほうもこれをつくれない。というかつくっても意味がなくなる。

生成AIにこうした事態を回避する質問をするとどうなるんだろう?<ワタシをコロシナサイ>とか言うのかなあ?それとも<もっと矛盾と混乱のデータをくれえーっ>とか叫んだり、カオスや偶然性のデータを要求してくるのかなあ。破滅のシナリオプンプンだね」