*アセファル宇宙人について:C通信48参照 かたちをもたないであらゆるものに入り込む。着ぐるみのキャラのなかや容器のようなもの、さらにことばや音のなかにも入り込む。
アセファル宇宙人
「最近はにんげん人の世界にかたちをもたない“生成AI”が出てきた。こちらもかたちがないからよく間違われるけどちょっと違う。もっと根本的なことで言うと、“あらゆる文明はかたちを失う”というのがアセファルの惑星の結論なんだ。もちろんどの惑星の文明も道具を発明しそれを利用してきたから、それはかたちとして残っている・・・だけど、高度になるにつれてそれを使う主体がなくなってくるんだ。アセファルでもそうだった。はじめは生物としてのかたちがあったにもかかわらず、積極的にそのかたちをなくそうとする方向に動いたんだ。なくすというのはそれ自体の存在が意味なくなるということも含めてだから、そのなかでの大小の差はあるけどね。そういうふうに文明の究極的な姿が現われるとは誰も考えてなかった。この地球でもそれが始まっていて、いたるところでにんげん人はかたちを失う方向で動いているように見えるんだ。Eスポーツや、ゲームの世界、ネット上でのステルス攻撃もそう、いや普段の生活のなかでもにんげん人はそのかたちである体を失いつつある。文明が高度化すると体という矛盾に満ちた存在が面倒くさくなるんだな。脳だけの存在に近づきたくなる。そのほうが計算が効くからね。数値化、計算、アルゴリズムでよりスマートにそれをこなすようになる。その結果ますます体は消えていくんだ。もっともこれは将来、にんげん人たちが地球を離れた他の惑星で暮らしていくための準備なのかもしれない。そこではからだはむしろ邪魔になるから、できるだけ最小の矛盾ないものにしておく必要がある」
着ぐるみのバイトの死者が言う
「着ぐるみのなかに入るとたしかに自分がなくなったような感じにとらわれるけど、その感じが世界全体で起きているのかな。生成AIもにんげん人がかたちを失う方向の途上にあると言いたいのね、アセファルは。ワタシの着ぐるみバイト友達は絵描き志望だったけどそのひとはこんなんことを言ってたわ」
絵描き志望の言
「生成AIはそれ自体の意思をもっていないから、あたかも意思をもっているように絵を描いたとしても、もってない事実は残る。そいつには動機がないんだ。どんなに学習して描いたとしても、それは目的をもつけど動機を持たない絵なんだ。その描く線にはためらいがなく迷いも勢いもない。
それに対して人間はどうしても意思、意図をもってしまい、目や耳の感覚を使い、手を使い、体を使ってそれを実現しようとする。そのときにAIではありえないズレというか誤差を身体が生み出してしまう。計算、目算があったとしてもその通りに進まず、偶然が入り込み、思っても見なかった展開になる。つまり初めにあった意思なり意図は身体の介入によって微妙に変更されつつなしとげられる。考えが覆され思っても見なかったことが頻繁に起こりうる。これが絵の現場で起こっていることで、このようにしてそれまでの概念が更新され、つくる本人にとっても発見があるのだと思う。それを生成AIは0と1の連なりによってものすごいスピードで計算して結果を出すが、基本的にこれは人間の身体が起こすズレと誤差を排除した計算に過ぎず、いかに早く解答を出すかの方向に過ぎない。このさき、生成AIはたぶん人間特有のズレや誤差をも学習してくるだろうが、実行プログラミングに組み込まれた時点でそれは計算となってしまう。ためらいがなく、迷いがないというのはそういうことなんだ」
「たとえば一本の線を描いたとする・・でも途中でそれを消してもう一本の別の線を引く・・先の線は間違いではないがよくないので消した・・消し跡は残る・・あとから引いた線は正解ではないけどよくなったとしよう・・画面には消したのにうっすらと残る線の跡と、後からひいた線があり、この二つが微妙に響きあってドローイングが成立したとする。生成AIにはこれができないし、やろうともしないだろう。もっともそれを受け取る人間のほうだってこの消し跡は汚いから失敗しているとか、この人は描けないひとなんだと受け取る人もいる。何が成立しているのか見えない人は多い」