2010年「罪と罰」「C’est la vie!」「カラヴァッジョ」展のこと

2010年「罪と罰」「C’est la vie!」「カラヴァッジョ」展のこと

「Crime & Châtiment」(罪と罰)展、「C’EST LA VIE!  VANITÉS DE  POMPÉI À DAMIEN HIRST」(セラヴィ、虚無、ポンペイからダミアン・ハーストまで)展、「CARAVAGGIO」展のこと

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①「罪と罰」展

 以前に書いたブログのなかで、「Crime & Châtiment 」展(「罪と罰、ゴヤからピカソまで」、2009年にパリのオルセー美術館で開かれた美術展)のことにちょっと触れたのですが、そのことへの質問などがあったので、ここでその展示のことについて書いておきます。上記のふたつはパリで、もうひとつはローマで2010年の春に開かれた展覧会で、いずれももたいへん見応えがあるものでした。これらの展覧会のことは大学の特別授業でとりあげ、画像60点ほどを見ながら紹介したのですが、ここで紹介するのはその授業概要といくつかの画像です。このような歴史、社会、美術が密接に絡んだ展示は日本では少ないのと、この時の授業の物珍しさもあって大きな反響がありました。以下はその概要と画像です。

授業概要

 芸術は「死」と共に発展してきました。あるいは「死」というぱっくり開いた深淵から限りつくせぬ生の豊かさを引き出し、その最もヴィヴィッドなかたちとして芸術が成立してきたといってもいいかもしれません。それは死に寄り添いながらも常に全き「生の肯定」としてあり続けているわけです。ですからジェリコー、セザンヌや北斎をはじめとした画家たちが「死」に興味を持つのも当たり前と言えましょう。ここでは、はじめに「Crime & Châtiment」展をとりあげ、その次に「VANITÉS」展、そして最後はローマでの「CARAVAGGIO」展を見ていきます。いずれの展示にも「死」が絡んでいます。

 まず最初はパリのオルセー美術館での「Crime & Châtiment」(罪と罰)展(*図版1)です。これは美術評論家のジャン・クレールという人がドストエフスキーの「罪と罰」から想を得て組織したもので、フランス革命後の1781年に、議会に死刑廃止法案が提出されて、それが実現した1981年までの200年を医学、法学とともに美術の視点から見直してみようと企画された展覧会です。展覧会はいくつかの項目から構成されていますが、それは「なんじ、殺すなかれ」から始まり「ロマン派の犯罪の図」「裁き」「犯罪と科学」「新聞とごろつき」「芸術家、狂人、殺人犯、性犯罪」あるいは「天才、犯罪そして狂気」といったテーマや見出しが並んでいます。

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②ギロチン

 ジョルジュ・バタイユは『ドキュマン』のなかで「美術館という用語の近代的な意味での最初のものは、1793年にフランスで国民公会の手によって設立されたらしい。だとすれば、現代の美術館の起源は、ギロチンの発明と結びついていることになる。」と言っています。ギロチン処刑がもっとも盛んなとき、王の首がはねられるのを見た民衆が美術館で美術を見始めたのです。そのような欲望の対象として美術が成立してきたことは否定できません。展覧会ははまずこのギロチンの展示から始まります。(*図2)

 具体的には、フランス革命(とくにマラー暗殺(1793年)を中心に)から始まり、ロマン主義の傾向としてドラクロア(「ならず者の死」)やジェリコー(「サンペトリエールの精神病患者たち」シリーズ、その他(*図3))、モロー(「サロメ」)、ルドン(「囚人」)などをとりあげ、ジェレミー・ベンサムが考案したパノプティコン(一望監視装置)に入っていきます。近代を特徴づける監視社会の始まりとされる装置です。(ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』参照)

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③ジェリコー「足と手の習作」

さらに展示は続き、顔の筋肉に電流を流してつくり出された表情を撮影したギヨーム・バンジャマン・デュシェンヌの写真(*図4)、また警察の鑑識課の人間であり、指紋照合の時代に先駆けてあらゆる身体測定を行ったアルフォンス・ベルティヨンなどが、写真発明(1839年)と関連づけてとりあげられていました。

⑤Duchenne
④Duchenne

 さらに展示はドガの「室内」、「踊り子」(*図5、この像は制作当時はろうでつくられ、髪、皮膚も本物だったという。ブロンズ像は死後つくられた。)、セザンヌの髑髏、ジャコメッティの「のどをかき切られた女」、アンディ・ウォーホールの電気椅子の写真作品、デヴィド・リンチなどと続きます。

 人間のもつ残酷さ、野蛮なところを社会(法)との関連で探検するような刺激的な展示です。いつの時代も現実は苛烈で、それにより沿うように、あるいは反発しながら美術がうまれてきたのです。「罪と罰」といえば文学からのアプローチ、そして社会との関連で言えば法学や思想史が出てくるところを美術、それも世界からひとが集まるオルセー美術館でやってしまうところにフランス社会の懐の深さを感じます。そして集められた数多くの出品作品や資料がそれを物語っています。その当時の評のことばを借りるなら、「政治から美学まで」人間の生の振り幅の多様さ、深さをとことん感じさせるものでした。

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⑤ドガ「14才の小さな踊り子」
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⑥ポンペイのモザイク「メメント・モリ」

 もうひとつの展覧会は同じくパリで開催された「C’est la vie! VANITÉS」展です。副題に「ポンペイからダミアン・ハーストまで」(*図6)とあるように、これは画家、芸術家たちが「死」の問題をどう扱ってきたか、その作品を展観し、現代の問題まで見ていこうとするものです。

 VANITÉSには虚栄、空しさ、それも生の空しさといった訳があてはまりますが、どうもしっくりきません。日本語ではあてはまる言葉がないのですが、これも文化の違いのひとつです。でも簡単に言うとこの展覧会は「骸骨を扱った作品の展示」「メメント・モリ(死を思え)」の展示と言ってもいいかもしれません。前述のカラヴァッジョ、セザンヌもピカソも死の象徴としての骸骨を描いてきました。ダミアン・ハーストにいたっては、ダイアモンドをちりばめた骸骨をつくり、それが百何億円で取り引きされたというニュースが新聞をにぎわしたばかりです。彼は蝿でできた骸骨(*図7)

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⑦ダミアン・ハースト

もつくっていてこの展覧会に出していますが、「自分は悲観主義者ではなく、楽観主義者だ。」と述べているのもこの展示の意味のひとつの側面を表している言葉です。死への興味とともに、生への強い肯定がこのような企画を生むのです。

 最後はローマで開かれた、没後400年を記念する「カラヴァッジョ」展です。日本ではやはり没後400年を記念する「長谷川等伯」展が開かれたばかりですが、あちらではちょうどバロックと言われる時代にあたるわけです。

 カラヴァッジョの作品はそのほとんどがキリスト教の教えの場面と言ってもいいかもしれません。しかしそれは今までの宗教画とはかなり違っています。今までのそれは聖性の高みにある触れ難い物語だったのですが、それを彼は日常のどこにでもあるような一般の人の情景にしたのです。

 この展覧会はいつも一時間半ぐらいの行列待ちだったのですが、家族連れが目立ちました。それというのもこのような身近な絵を描いたということが関係しているのではないでしょうか。

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⑧カラヴァッジョ「聖マタイの召命」

 しかし、作品はどれも激烈で現代的です。まるで映画の一シーンを見ているかのような迫力があります。光は明暗の差が激しく、しかもその暗い階調の美しさは他に例を見ないほどです。(*図8、9)そして構図の斬新さ、バロックの特徴としてよく言われる「劇的」という言葉がぴったりあてはまりますが、忘れてならないのは、リアリズムの意味です。日本語ということもあるのですが、リアリズムが写実主義と訳されて、ただ見たままそっくりに描くようなニュアンスをもっていることは周知の事実ですが、カラヴァッジョを見ると、そうではなく“生な現実世界に触れた”という感じがします。それは文字どおり、真に迫ってきて、その時代の生きている現実と地続きであるということがよく分かるのです。当時、バチカンなどに下品さを理由に受け取りを拒否されたということもその生々しさの証拠です。それは映像的であることとともに、現代性をもったカラヴァッジョ作品の重要な意味でもあると思います。

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⑨カラヴァッジョ「ゴリアテの首を持つダヴィデ」

「カラヴァッジョがいなかったらリベーラも、フェルメールも、ジョルジュ・ラ・トゥールもレンブラントも存在しなかったであろう。そしてドラクロワ、クールベ、マネも別の絵を描いただろう」というロベルト・ロンギの言葉が思い出されます。

 3つの展示を通じて感じたもの、それは「死」の恐怖とバランスをとるかのように生成する「生きた感情」「生の肯定」の意味です。芸術もまたここから発生するのです。またそれはいつも“今、ここに生きている”といった現実感覚とともにあるわけで、カラヴァッジョの作品も暗い美術館のなかから選ばれ、焦点を当てられ、私たちに見られて現代に蘇るのです。

そういえばドストエフスキーの「罪と罰」も、実は「甦る」ことの物語だったのではないでしょうか。「死」というテーマは生のテーマそのものであり、現代の生きる私たちの切実な問題でもあるのです。

 長沢秀之