”記憶”とつくること

”記憶”とつくること

2012年12月24日
図①もず
図①もず

 ①の図は庭に飛んできた百舌(もず)を記憶で描いたものです。

私の頭にはその飛んで来た時の、“映像のようなもの”が残っていますがこの絵のような姿はしていません。周囲に木があってその下の枝のさきにもずがとまっていたという“映像のようなもの”があって、描かれた像(イメージ)のようなものではないのです。ところがそれを思い出して描こうとすると、目のところがサングラスみたいになっていたとか、足が短かったとかその見た時の記憶が呼び覚まされ、ひとつの像が出来上がります。それは“映像のようなもの”とは違うのですが実感としてはこれが記憶の像ということになるのです。記憶はこうして、描くことでつくられるのではないでしょうか。

 ②の図は8年くらい前、それよりもさらに40数年前の記憶をたよりに鉛筆で描いた私の生まれた家です。といっても私はこのアングルからこの風景を見たわけではなく、あくまでも想像ですが、かといって自由勝手に描いたものではなく、“正確”なものです。

(家の屋根は杉皮葺きのおんぼろやで、下の方にあるかまどや風呂などがある勝手にはガラスの天窓があります。勝手口を開けたところにいるのは私の母で、たらいに洗濯板をさして洗濯をしています。父は左手の通りに近いところで薪を作っています。小さな小屋は納屋と便所をかねたもので、当時の便所はこのひとつだけです。その右には私と祖母がいて私の足には蛇が絡んでいます。これは私の記憶にはなく、祖母から聞いた実際の話です。右の方には鶏小屋があり、妹や弟がその小屋から出た鶏たちと遊んでいます。その他庭にある、木、草花、植木の種類、そして上の方に見える畑の柿の木や里芋の葉などなど、その位置と種類は“正確”と言ってもよいものです)。

 “40数年前の記憶”と言ってもそれはあるときの一瞬ではなく、その頃にそこに生きて感じたものですから、位置関係や大きさは体感的なものです。ここからどのくらい歩いていくとどんなものがあり、そこから何がどのように見えるのか、すべて体に染み付いてしまったようにそれらはあるのです。質感、におい、場所がはっきりしています。これらは特別な記憶で体感的記憶といってもいいのかもしれません。

 しかしこれらは描かないと出てきません。頭で想像しているだけでは分断された断片—つまり先ほどの“映像のようなもの”が頭のなかにあるだけなのですが、描き始めるとまるで脳内の神経細胞(ニューロン)がつながり始めて断片同士がつなぎ合わさっていくような感じがします。ひとつのことがきっかけになって(たとえば家の屋根)次々に他のことが一続きの織物のようにそこにでてくる感じです。ですからこの絵は描き始めてからあっという間に出来上がってしまいました。

 「はじめにイメージありき」という言葉があります。しかしイメージは、あらかじめ頭の中にあるのではなく、手によって描かれたときにそこに出現するのではないでしょうか。それは頭のなかをトレースしてそこに映す作業ではありません。実際に見た現場の姿、それはそれで迫真性はあるのですが“映像のようなもの”、断片的なもので、これは現実と地続きです。それを描こうとする時、まずそれは消滅の危機にさらされます。いったん壊されかかったところから弱々しいイメージのはじまりのようなものが立ち上がり、手や目を通して像(イメージ)として結晶するように思います。イメージは現実の側のものではなく、いわば“あの世”からこちらに来るものですが、描かれ、見えるものとなると同時に、あたかも以前からあったかのように現実にはっきりと存在してしまうのです。ですからそこに不意に出現したものに対して誰しも驚かないわけはありません。これが描くことの原点でもあるのです。

 (最近上映されたヘルツォークのショーヴェ洞窟を3Dで撮った映画(世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶)を見ると、3万年も前のひとが見ないで動物をそこに出現させた意味がよくわかります。でこぼこの壁面に描いたものを3Dで撮った意義も大きいのですが、そこに出現するものは平面的な画像ではなく、揺らぎのなかに存在するイメージのはじまりのようなものだったのだと確信しました。それは絵と映画の原点でもあり、見たもの=記憶、が壊れて、見えるもの=絵、に変わる瞬間でもあるのです。)