一緒に行動してきたソイツは、オレを死者の国に導く水先案内人のような存在だということがわかってきた。ソイツの祖先は、17世紀の日本の鎖国令によってマカオに追放されたポルトガル人と、当時のアジアにいくつかあった日本人町にいた日本人女性の間に生まれたこともわかったが、後にその祖先がどのようにして南の島にたどりつき、そこで生まれたソイツが今の仕事をするようになったか、詳しく聞くことができなかった。
ソイツはオレが1995年生まれらしいと聞くと、その年に日本で起こった震災や2011年の震災と1755年に起こったリスボンの大地震のことを語り始めた。
「リスボンの大地震は人間がかつて経験したことのない巨大な地震でした。しかも直後に襲った津波と、大火災によって多くの人命が失われ、華麗な海洋帝国の首都は廃墟と化しました。この大地震のあと、ヴォルテールは「この世は神による美しい予定調和による世界だ」とする楽観主義を批判し、その崩壊を小説「カンディード」に書きました。主人公のカンディードが、遭遇する理不尽な戦争や大地震を目の当たりにしながらも一途にキュネゴンドを思い慕って旅をする一種の冒険小説ですが、そこには当時の世界の残酷な現実が豊かな想像力で描かれ、調和や楽観主義への疑問が提示されています。奴隷制への批判もそのひとつでしょう。一方カントは、神の怒りととらえられていた地震を自然現象として科学的に解明しようとしました。こうした動きは当時の啓蒙主義と関係しながら大きな社会変革を促し、それらの動きが遠い引き金となってフランス革命を引き起こしたとも言われています。それから240年後に起こった阪神大震災のあと、この国はどう変わり、なにを生み出したのでしょうか?さらに2011年の東日本大震災のあとはどう変わったのでしょう?」
「そこからさらに遡って1347年、ヨーロッパに黒死病(腺ペスト)が襲いました。中央アジアからヨーロッパへと広がったと言われていますが、持ち帰ったのは黒海の北の居住地にいたキリスト教徒の商人たちでした。こうしてコンスタンチノープル、地中海から瞬く間に大規模な疫病が広がりました。ポルトガルには1349年の初めころに広まり、やはり多くの人が死にました。
ヨーロッパの当時の人口の約半分が死んだと言われる黒死病の蔓延はなにが原因なのでしょう?人口の集中や寒冷化による食糧難でしょうか?モンゴル帝国の侵略でしょうか?それともヨーロッパからの十字軍に始まる東方イスラム圏への侵略でしょうか?その原因を単純にひとつにあげることはできませんが、侵略戦争による急激な人や物資の移動があったことは確かです。これは今で言うとグローバリズムですね。コロナウイルスのパンデミックが急速なグローバリズムと富の飽くなき追求、経済効率化による人と物資の移動によって起こったのとよく似ています。
話を元に戻しましょう。ヨーロッパはペストのあとに封建制が崩壊し、生き残った農民たちは力を持って農奴制も崩壊しました。ミラノのスフォルツァ家も元はと言えば傭兵でしたが、このころ力を得て後のルネサンスの有力なパトロンになりました(ロンダニーニのピエタ!)。生き延びたひとたちの前には以前の世界とは違う世界が待ち受けていたのです。
先のヴォルテールは不思議な、しかし今にぴったりのことばを残しています」
「いつか、すべてはよくなる、これがわれわれの希望である。今日、すべてがよい 、それは幻想だ」