Y: ベーコンの犬の絵、見た?

H: あの絵すごい、いいよね。マイブリッジの写真をもとにして描いているようだけど、時間を停止させた写真の反対をいくようで、延々とこの時間が続いていくような恐怖があるな。映像に近い感じもある。

Y: だけれどあの絵はガラスが光っていて見づらいよ。

H: そうそう、右に行ったり左に行ったりなかなかよく見えないけどそれもおもしろい。

Y: あれはベーコンの指定なんだろう。金の額縁といい、光ってよく見えないガラスといい「この絵、凶暴につき・・」って感じだなあ。逆にこれは絵画にすぎないと突き放しているようにも受け取れる。

H: 今回の展示は初期の作品がよかったと思うけど・・男の後ろ姿がカーテンに隠れている絵もぎょっとする。だいたいベーコンは西洋絵画の裸の美の伝統とは全く違うところからでているのがいいよね。美大ではいまだにモデルさんを裸にして描いているけどね。

Y: ベーコンの裸のひとは恋人でしょう。だから基本的に愛の対象しか描いてないんじゃないの。一般的な美の基準とか関係なく描いている。いきなり芸術に入っちゃってる感じだね。

H: 日本でこれに対抗するとなると春画かなあ。ちょっと意味が違うけど、肉体そのものから強い感情を引きだす、という意味では同じかもしれない。

Y: でもあの肉体の感覚というのはわれわれには本当のところわからないのかもしれないよ。まだ絵だからいいけど、あの絵の現場は想像しただけでこちらの感覚を超えているところがある。

H:  そうだね。まさに肉体というか物質世界のところのものだね。それにゲイカルチャーも絡んできて、絵としてみればおもしろいけど、その本当のところはわか らないのかもしれないな。テリー・ウィンタースやロス・ブレックナーの絵なんかにしても絵の具の肉質感みたいなものが違うよね。すごくいいけどあの感じは そういう文化の成熟したところでないと生まれないのかもね。

Y: こっちの文化は肉体がないもんね。だからマンガが栄えたりいくらでも技術の最先端に走ったりできるわけでしょう。それはそれですごいことだけどね。

H:  たしかに肉体がない。同性の恋人を愛の対象としてまじまじと見つめるというのはなかなか想像が難しい。自分の体さえじっと見続けることはできないから。 あの開いた口なんかもなんか違ったものに見えてくるもんね。そういうところから見ると“モデル”を前にして“美術”の対象にして描くというのはひとつの “逃げ”だね。評論も基本的には肉体を失ったひとの想像力みたいなものだから、ベーコンについて理解し、ことばを書けるのかもしれないけど、つくる側は一 応肉体を持っちゃっているから、興味は持っても理解はむずかしい。

Y: でも今回の作品では写真を多用して自分の世界をつくっているよね。写真はひとつの“モデル”みたいなものじゃないの?

H: あれは一種の出現でしょ。イメージがそこに現れてしまうみたいな・・。彼にあっては写真はみんな心霊的なものでしょ。

Y: 今回のベーコンのビデオでは写真が次々とでてきて、あれ、おもしろかった。現実ではなく、写真から絵にしていくんだね。

H: やっぱりいいのは恐怖だよね。それ以上の何かになっているのが見ていておもしろい。

Y: ベーコンの絵の前では口をつぐむしかないよ。

H: そうだね。

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追記:今回は展覧会関係の画像はありません。代わりにリスボンの“泥棒市”で見つけたミシェル・フーコーの「作者とは何か?」がカッコよかったのでこれをのせました。