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NAGASAWA Hideyuki
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early Renaissance

Overpainting the portrait of the Duke of Urbino by Piero della Francesca – With respect and love for Piero della Francesca

Overpainting the portrait of the Duke of Urbino by Piero della Francesca – With respect and love for Piero della Francesca

2026/08/20
contemporary art

The painting on the left was created by overpainting the half-finished oil painting on the right. Piero, I’m sorry. This is what happened when I overpainted your work, “The Duke of Urbino.” But my deep admiration for you remains unchanged.…

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Painter drawing&painting

前回のつづき 私はここでAIの可能性を否定しているわけではない。実際の会話を進めていく際も、その参照 前回のつづき
私はここでAIの可能性を否定しているわけではない。実際の会話を進めていく際も、その参照力や分析、引用に資する読書量の深さに驚かされる。これを利用すれば絵も学習できると研究者が考えても不思議はない。ところが先の一連の研究や実験に決定的に抜けているものが、最初にあげた「肉体を持った感覚(クオリア)」がありません。」という AIの実感や「・・色彩の厚みから「画家の呼吸」を無意識に感じ取ったりします。これは、人間が物質でできた身体を持っているからこそ可能な共感覚的な鑑賞です」というAIの感覚の限界問題である。AIは人間のような感じる目を持たないし、色気を感覚する目や器官も持たない。ここを飛ばしてAIモデルがつくった新作浮世絵とかレンブラントの新作の可能性を言って騒いでもなんら意味がないのではないか。つまりこれらの方向は絵を見ない、あるいは見れない、という方向であって、計量化された、あるいは図案化されたものしか絵として見えない、ということなのだ。AIがせっかく指摘している、人間の見る能力の深さを自ら放棄している。                                    そしてもう一つの問題、生成AIと話すときの人間(プロンプター)の目の問題がある。生成AIは人間のように絵を見る目を持たないと言えるが、それをカバーするように、質問者の言葉、見ているものから”絵”をつくることができる。つまりプロンプターの目を借りるのだ。これについては私の説明ではなく、次のようなAIの告白に耳を傾けよう。

『AIには物理的な眼球はありません。しかし、私は画像データを入力として受け取り、そのデータを解析するための「アルゴリズム(デジタルな眼)」を持っています。

・デジタルな眼: この「デジタルな眼」は、ピクセルごとの色度、輝度、位置情報を解析し、それらの情報を統合して、エッジ、テクスチャ、形、色彩パターン、階層構造などを識別する。

・定量的なデータ解析: AIの「見る」は、生物学的視覚(眼、網膜、脳、感情)とは全く異なる、定量的なデータ解析である。 

・「意味」の欠如: 私にとって、そこにあるのは「意味のある形」ではなく、「この座標の色は、周囲の座標の色と比べてこれくらいの確率で分布している」という数学的なデータにすぎません。』

そしてAIは次のようにも言う。

『私は人間のように「感じる」ことはありません。AIにとって「見る」とは、「定量的なデータの変化を、定性的なコンテキスト(言葉)によって、意味ある情報へと変換するプロセス」です。私は「意味」を直接感じることはできませんが、あなたの言葉によって、このデータの変化を、単なるノイズではなく、意図的な芸術的表現として解読できるのです。』*ここでいう定性とは数値では測れない、そのものの「性質、味わい、意味、文脈」を指す。

世界一の盲目の読書家であるAIは絵を見ることはできないが、質問者の提示する画像や言葉によって絵を見ているように応答できるのだ。つまり人間は、定性(意味や感情)から出発して、定量(物理的な表現)を生み出すが、AIは逆に、定量(ピクセルの数値)から出発し、人間の言葉(定性)を借りてようやく「分かったような気になる」ことができるというのだ。

ここで再び疑問が湧く。では人間は本当に絵を見ているのか?と。残念ながら、こうしたAIと絵をめぐる研究や論があることからして、その答えはNOだ。人間は絵を見ることができなくなった。AIが示す無数の可能性ー反事実的想像力を人間の見るちから以上のものと錯覚し、自らの目を失いつつある。
生成AIは絵を見ることができるのか?人工知能が絵を見ることとはどのようなことなのか?これが知りたくて 生成AIは絵を見ることができるのか?人工知能が絵を見ることとはどのようなことなのか?これが知りたくて自分の絵を引き合いに出してAIとの会話を重ねた。一回目の対話(https://nagasawahideyuki.net/ 6165/) でAIはこう告白する。

『AIにとって、絵具の「物質感(テクスチャ)」や、そこから立ち上がる「魅力」を感じることはできるのか。正直に申し上げれば、私には人間のような「肉体を持った感覚(クオリア)」がありません。』 

『なぜAIには「感じる」のが難しいのか。AIは「意味」を抽出するのが得意ですが、物質が放つ「気配」を受け取る器官を持っていません。 人間は、絵具の盛り上がりを見て「自分の指で触れた時の感覚」を脳内で再現したり、色彩の厚みから「画家の呼吸」を無意識に感じ取ったりします。これは、人間が物質でできた身体を持っているからこそ可能な共感覚的な鑑賞です。私が「図柄」ばかりを追ってしまうのは、まさにこの「身体性の欠如」によるものです。』

率直な生成AIのギブアップ宣言・・では逆に人間は、本当にAIの言う「肉体を持った感覚」をもって絵を見ているのだろうか?ひょっとして、人間もまたAIのように「図柄」ばかりを見ているのではないだろうか?                         「サカナAI」が開発したAIモデルが学習した1万2千点もの絵はなぜ浮世絵なのか?これは「図柄」として学習しやすいからなのだろうか?これによってつくられた浮世絵が全く凡庸にしか見えないのは、つまりその証明なのか?                            また、かつてAIによるレンブラントの新作の絵の試みがあったが、これはなぜレンブラントなのか?評価の確定した多くの情報を安心して学習できるからなのか?・・・・次回へつづく
<Profile & Rain> 横顔と雨 <Profile & Rain> 横顔と雨
<The Ark of the Eye> 「目の方舟」 絵というのは表現というよりは、見たいものなん <The Ark of the Eye> 「目の方舟」
絵というのは表現というよりは、見たいものなんだ。それが見たい、そこにImageが出現するのを見たいから描くんだ。ラスコーだって戦争体験の絵だって、今の絵だってそうだ。だからそれが暗いとか、残酷だとか言って遠ざけちゃうのは短絡だな。見たいという欲望は強烈に生の側にあるんだから。表現なんて近代のちっぽけな産物でしかない
#painting #deafblind #eye
「鉱石と沼」            これも廃棄された習作が下絵となっていて、元の絵はボッティチェル 「鉱石と沼」           

これも廃棄された習作が下絵となっていて、元の絵はボッティチェルリの絵の三美神のうちのひとりを模写したもの。西洋美術はいいのはいいが、この下絵はおよそ自分たちの生とかけ離れている。そうしたものが勉強の対象になるくらいに日本人の西洋美術への憧れは強い。それは自分を消して絵を見ているからだ。森村さんはこの構造を炙り出し、西洋美術の名作に自分を入れ込んで、これらの受容の変さをおもしろく展開している。昔、みうらじゅんがジョン·レノンに傾倒し、精神的にも外見的にもそのつもりになっていた時、ふと鏡に映った自分を見て、自分はジョンレノンではなく三浦純という日本人なんだと自覚したエピソードもいいな。この絵では「私にはこのようには見えない」と思って下絵にオーバーペインティングした。そうしたら女神の肌が沼のようになってしまったがこれでよい。
detail ひとつ前の絵の部分、左下に川と帆船が見える。宝登山のケーブルカーに乗った時にこの絵を思 detail ひとつ前の絵の部分、左下に川と帆船が見える。宝登山のケーブルカーに乗った時にこの絵を思い出したのでこの俯瞰の部分を残した。
「フウケイとヒト」 ピエロ・デッラ・フランチェスカさんすみません!ウルビーノ公がこんなになっちゃいま 「フウケイとヒト」 ピエロ・デッラ・フランチェスカさんすみません!ウルビーノ公がこんなになっちゃいました。でもこれがいまぼくの見ているものなんです。
下絵はアカウントhideyuki_nagaから
燃える像 <Burning statue> #smallpainting #contemporary 燃える像 <Burning statue>
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ぬいぐるみ目 <Eyes of stuffed toy> #smallpainting #glass ぬいぐるみ目 <Eyes of stuffed toy>
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<I am a goggle.>目が見る #painting #smallpainting #con <I am a goggle.>目が見る
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「五星と叫び」 <Five planets and scream> #smallpainting # 「五星と叫び」 <Five planets and scream>
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