記憶について<対話「私が生まれたとき」神戸ー25年あと(未来)の記憶ー>展によせて

展示コンセプト

  この世は私たち生きている者だけの世界ではない。あなたのなかにはおじいちゃんやおばあちゃんがいて、かつての自分もいることだろう。私たち生者は死者とともにある。言葉や絵、およそつくられたすべてのものが、生きている人たちだけではなく死者にも向けられている。もしもそれらが生きている人たちだけのものとすると、それは単なる癒しのもの、趣味のもの、うすっぺらな美しいものだけになってその豊かさを失うだろう。 原爆の図にしても、生きている私たちにその惨状と作者の感情を訴えるとともに死者に…

TRANS- グレゴール・シュナイダー <<美術館の終焉−12の道行き>>を見る

日常

 アートはどこかで現実にコミットしていなければ生きのびていけない。だから今、アートは極めてむずかしい立場に立っている。趣味の世界の「アート」は相変わらずもてはやされているが、括弧のないアートが成立するのはここ日本ではむずかしい。 ところが奇跡のようにここでアートが成立している現場を見た。神戸TRANS−展でのグレゴール・シュナイダーの&lt;&lt;美術館の終焉−12の道行き&gt;&gt;と題された展覧会。全部で12箇所の展示があり、それぞ…

シュノーケル

日常

ぼくが今でも毎年シュノーケルをやり続ける理由。それはひとの時間と接する死の世界を体感できるから。 海のなか、色とりどりの珊瑚に荒波が押し寄せ、さまざまの魚が群れ集うそこがどうして死の世界なのか?黒々とした海草が、海水の流れにいっせいになびくのはたしかに不気味だが、どうしてそれが死の世界なのか? その理由は、海のなかではひとは生きていけないから。シュノーケルはひとが生きていける世界と生きていけない死の世界との境界にある。むこうの世界に棲む生きものは、逆に海から出たら生きていけ…