日常に侵入する「ホーリー・モーターズ」
レオス・カラックスの「ホーリー・モーターズ」を見た衝撃がおさまらない。 “「日常」に侵入する映画”と言うべきか。 映画はドキュメンタリーでない限り、フィクションであり虚構の出来事なので、現実生活の日常とは一線を画している。それゆえ、作品がどんなに日常の風景を描こうとしてもそれはやはり映画という虚構のなかのことととらえられてしまう。かくしてもっと日常感覚を映画に入れようとするとそれは必然的にドキュメンタリーとならざるを得ない。美術が「日常」をやろうとしてもただ平凡で身近…