昨年、NYに行った際にたまたま見たハードカバーの画集に目が引きつけられた。「モネとケリー」というClark Art Instituteの展覧会カタログで、それは今から14年前にパリで見た「マチスとケリー」という展覧会を思い起こさせた。マチスとケリーだったら、ドローイングの線の違いが際立っているから展示としてはおもしろい、だがモネとケリーとはあまりにも違いすぎて、これはいったいどういう展覧会なのだろう?と思って、ページをめくるとそこに目を引く絵とことばがあり、私はこれを躊躇なく買い求めた。
テキストのイブ=アラン・ボアによれば、ケリーは1952年にジヴェルニーのモネのスタジオを訪ね、巨大な睡蓮の作品群を見た。厚塗りのえのぐや水平線のない絵に衝撃を受け、これらの作品はimpersonal statementsであると感じた。そしてこの体験をもとにTableau Vert(図版参照)というほとんど緑一色の作品をつくったという。論文は、ケリーがパリから
チューリッヒに列車で行く途中、車窓から野菜畑をもとにして描いたTrain Landscapeという作品や、モネが描いたBelle-lieの風景をケリーも描いていることを巡って、画家が他の作品から何を感じ、自作をつくっていったかを論じてあるものだった。アメリカのアーティストがモネから受け取ったものがこういうかたちで現れることに興味をもった。この時点でそれはモネよりは遥かにアメリカのアート解釈になっていた。
Impersonalとは辞書でひけば非個人的、非人称の、個人の感情を含めない、という意味のことである。それ以来、私の中ではこの言葉はいかにもアメリカ的なもので、一時期のアメリカの美術の傾向を示している言葉ではないかと感じていた。
7月に川村記念美術館に、サイ・トゥオンブリの写真の展覧会を見たときに真っ先に感じたのがこの言葉であった。まずその写真には人がいない(海辺の写真に小さな人影はあるが)。そもそもこの写真を撮っているのは誰なのか?人間なのか、それともそうではないものなのか?人ではなくカメラが見ているだけのことなのかもしれないが、それにしては、そこはかとなく漂う生きものがいた 気配や、死の予感は尋常のものではない。人の目でもものの目でもなく、死にゆくものの目と言ったらいいのであろうか、この世への別れのしるし、あの世からの贈り物のようにも見える。
そういえば数年前にパリで見たサイ・トゥオンブリの晩年の作品は、私にはあまり興味を感じられるものはなかった。これがあのサイ・トゥオンブリ作品なのかとさえ思ったが、写真は違っていた。そこには古い写真なのに“今”があった。モランディの静物画で感じたような感覚、見慣れているものでもまだそこにはわからないことがあり、人間のわからない地平がものの向こうに広がっていることを実感させた。
多くの評者は、ケリーが暗闇の中でドローイングをやったことと絡めて、写真の“盲目性”を指摘する。確かにそれはあるのだろうが、私はそれよりももう少し具体的に先ほどの言葉、Impersonalなものを感じてしまうのだ。
“今”があり、Impersonalなものをそこに感じてしまうということは、アーティストの特徴とともに、写真のもつ機能的特性がそこに現れているということなのかもしれない。 Impersonalの言葉の意味の中には機械的というのもある。人間が、ある感情をもって撮るのではなく、カメラが撮る。しかもこれらはポラロイドカメラで撮って、さらにプリントに引き延ばしているそうだ。人間の介在をより少なくして、カメラやプリントの行程を挟んでその可能性を見ているとも言えよう。もちろん、そうさせるのはサイ・トゥオンブリ本人だとしてもそこに感情を入り込ませないようにしているところが他に例を見ない。
カメラに撮らせるというのは、絵で言えばメディウムに語らせるようなことだが、それでも絵では身体が絡んできて人間寄りになるから、その接点をできるだけ切り詰めようとするとカメラにいくのかもしれない。普通はそこに機械の限界と無意味を見てしまうのだが、彼は逆にその可能性を見たのだろう。機械は人間の知らない世界を見ている、と。
写真には撮った人の性格がにじみ出る、と言うが、サイ・トゥオンブリの写真にはそれがない。それでいてそれは絵画をも凌ぐインパクトをもっている。初めての写真の個展は1993年、64才の時であり、さらに美術館での初の写真展は2008年で80才の晩年である。これまで写真作品が盛んな日本で、ほとんど大規模な展示は行われて来なかった。そうした所から見る私の想像では、画家の写真はあまり注目をされず、ようやく晩年になって注目されるようになったように思える。それがあの世からの贈り物と感じさせ、知らない世界の地平を感じさせるのだろうか?またその時間の差は、私たちが新たな認識を獲得するのに要した時間のようにも思える。当時のサイ・トゥオンブリ自身は、こうした可能性を確信していたのだろうか。
そんなことを考えながら先日、ビョークが最新アルバム「ヴァルニキュラ」に関してのインタビューで言った言葉を思い出した。その前後は省いてしまうが「最も普遍的で多くの人が共感するのは、最もパーソナルなものだと思う」と彼女は言った。これも確かな実感、言い得て妙である。Impersonalとはこうした実感が根底にあって初めて成り立つ言葉なのだ。人間がまずあってそこからその両極端にある言葉が輝くのだろう。
翻って私たちの文化を見てみると、それに相当する概念を探すのは難しい。
Impersonalなものに近いものはあるのだが、それを作品概念やポジティブな意味で使うことなど、ほとんど無いだろう。それは対極の概念としてのPersonalの意味が弱く、また、もともとそれが西洋からきたものだから弱いのだとも言える。ビョークのインタビューも、そこのところだけ訳せずに“パーソナル”となっているくらい、それにあたる言葉を当てるのは難しいのだ。
たとえば、このサイ・トゥオンブリの写真の展示を“盲目性”ということばでなく“心霊的”ということばで受け取ってしまったら、批評にならないのかもしれない。モネの睡蓮にImpersonal statementsをケリーが感じたように、自分たちの文化、あるいはその人が抱えているものに引き寄せて語ることはできなかったのか?いや、おそらくそうしていたのだろう。モネに接した日本の画家も、サイ・トゥオンブリの写真に接した私たちもおそらくそうしているのだ。そして肝心のところで言葉の問題を抱えている。
“パーソナル”を単に“人間的なもの”とは訳せないし、その対抗概念もそれに沿ったものにするのは難しい。私が納得しながらもいらだちを覚えるのは、それでは私はどういう言葉をここで吐くことが可能なのか、という問題である。
“人間”の軸とは違った、中間的でもう少し柔らかいものを想像してみる。もちろんここ(日本)にも人間はいるし、非人称や人間の個人的な感情を排した考えだってあるにはあるのだが、それで作品を語ることは難しく、そうしたいわば横軸上の概念よりは、その中間点から縦軸に伸びる概念(たとえの話)のほうがこうしたことを語れるのではないかと思う。
先ほどの言葉“心霊的”をさらに進めて、霊媒、霊媒性というのはどうか?人の介在は低く、しかも対立概念の中間にあってその両者を引き止める。霊媒はそれ自体がさほど意味はないが、たとえばイタコに死者の霊が宿り言葉を吐くように、それを通して何かが実現する。霊媒はそれ自体は単なるものである。意味のないものであり、意味のあるPersonal, Impersonalの軸とは位置取りが違っている。
霊媒的であることは中間的で、能でいう橋懸かり的なものでもある。現実と亡霊(死者)の世界を結び、この世とあの世に橋を架ける。このように豊かな意味をもつ言葉を英訳すると、ただひとつMediumになってしまう。しかし、これは絵を描く時のえのぐを意味する言葉でもあるし、写真を撮る時のカメラや写真プリントを意味する言葉でもある(media)。そして霊媒者も巫女もまたMediumである。
私がここで言おうとすることは解釈の問題である。ケリーがモネの睡蓮からImpersonal statementsを感じたことから始まってジグザグを繰り返しながら、サイ・トゥオンブリの写真を心霊的に解釈し、それを霊媒性とした。正しい理解ではないかもしれないが見当はずれではないだろう。これなら私の文脈で解釈できるというギリギリの線であり、ある種の官能性をもって作品を楽しめるいわば境目の快楽ラインである。
そして解釈とは、ケリーに見られるように、他者の作品を通じて行う自作の表明でもある。新たな位置取りと座標軸によって別の世界が見えてくることを可能としたい。