「大きいゴジラ、小さいゴジラ」展示コンセプト

「大きいゴジラ、小さいゴジラ」展示コンセプト

2014年2月24日

           『大きいゴジラ、小さいゴジラ』(川越市立美術館)    —長沢秀之—

 「大きいゴジラ」は、1954年の映画「ゴジラ」*(注2)をもとにしています。戦後まもない時期につくられたこの映画は暗く陰鬱で決して娯楽作品とはいえませんが、それゆえに私たちをひきつけてやまない不思議なちからをもった作品です。1954年と言えば米ソ冷戦が激しくなった頃であり、アメリカが南太平洋のビキニ環礁で水爆実験をし、折からマグロ漁船の「第五福竜丸」の乗組員がその実験の放射能をあびた年でもあります。映画の中で、ゴジラは太平洋の孤島に眠っていた200万年前の古生物が、連続する水爆実験によってその生活環境を奪われ、さらに被爆したことにより水爆のエネルギーをも自らのパワーとし、東京に上陸、首都を焦土に変えてしまう*(注3)という設定になっています。

 子供心に「第五福竜丸」事件は恐ろしい出来事として記憶に残っているのですが、私がいま関心を持つのはこの水爆実験が絡んだ設定とゴジラという怪獣の創造です。その当時の映画製作の写真や資料(*注4)を見ると制作者や監督のなみなみならぬ熱意と情熱を感じます。多くの人のなかに漠然とある恐怖や不安をゴジラというかたちにもっていった想像力に感嘆の念を抱かずにはいられません。まさに“かたち”は恐怖とともにやってくる、というわけです。(*注5)

 また品川駅や銀座の街、国会議事堂といった建造物の精巧な模型が、映画という切り取られた画面のなかでゴジラの大きさを際立たせる装置になるところもいまから見ると不思議な感覚を覚えます。私たちは特撮の実際をある程度は知っていますから、ゴジラの映画上の大きさやスケールを、実際の着ぐるみや対応する街の模型、プールなどに変換させつつ楽しむことが可能です。初期の特撮映画ということもあり、現実と想像上の変換が比較的容易なのですが、画面が暗いので、ちょうど夢や頭のなかで発生したイメージの原型のような感じがあるのです。原初のイメージと言ってもいいでしょう。これは現在のCG映画では望むべくもありません。

 映画では、ゴジラが、あまり大きく見えずにぽつんと小さく見えるところとか、大戸島のゴジラの足跡が巨大すぎるといった問題もあるのですが、これらはむしろ映画のなかで自在に変化する“大きさ”という観点に立てば、むしろ興味のポイントにもなり得ます。

大きさというのは相対的なものですから、映画のなかでは街の模型によって巨大になるものが、当然のことながら撮影現場や現実世界ではふつうの大きさになります。想像上の大きさはとっても不安定です。それはイメージが不安定なのと一緒ですが、もともと想像力は脳という現実とは違った次元に発生するものですから、不安定で当たり前、だからこそ魅力的なのでしょう。

  私のゴジラをテーマとした絵はそのような興味でつくられました。キャンバスに油彩の「赤いゴジラ」と「緑のゴジラ」、それと連動する8枚のドローイング、2009年のことです。

 それに対して私は今回の展示に「小さなゴジラ」というものを設定しました。これは直径1センチから3センチのマルのなかに入ってしまう文字通りの小さなゴジラで“かわいい恐怖”とも言うべきものです。数が多くて数えきれないほどの小さなゴジラが教室の黒板の全面を埋め尽くす、というイメージが浮かんだのです。これらの無数のゴジラは2011年に生まれました。直感的なもので確たる根拠はないのですが、先述の「大きなゴジラ」が水爆実験をもとに1954年に生まれたものだとしたら、無数の小さなゴジラが2011年の3月11日に生まれたことが当然のように思えたのです。福島原発のメルトダウンによる放射性物質の拡散は文字通り目に見えない恐怖ですが、それが小さなマルに閉じ込められたゴジラという連想を導き出したのかもしれません。

 また2012年の4月に訪れた被災地、とくに陸前高田市の跡形もない破壊の姿と、そこで出版された被災前、被災後の写真集(*注6)の衝撃からも少なからぬ影響がありました。それはまるでSFのような出来事にも見えますがまぎれもない現実の出来事でした。放射性物質もそうですが、目に見えないものや出来事をどのように想像するのか、どのようにリアルなものとして受け取るのか、これは私たち作品をつくる人間にとっても重要な問題です。というのも作品、とくに絵はいつも見えないことと関係し、あちらの世界とつながっているからです。絵の四角は冥界への入り口、あちらとこちらを結びつける窓のようなものです。そうした問題のひとつの切り口として「小さなゴジラ」をつくったのです。

  加藤典洋はその著「さようならゴジラたち」で“ゴジラは、なぜ南太平洋の海底深く眠る彼の居場所から、何度も、何度も、日本にだけ、やってくるのか、(中略)”と述べ“その理由は、ゴジラは、亡霊だからである”と明確に述べています。(*注7)もしそうだとしたらこの展示の「小さなゴジラ」とは何になるのだろう?という疑問もありました。さきに放射性物質から小さなマルのゴジラを連想したと述べましたが、その一方で、小さなゴジラを描きながら考えたのは“これらは死者でも何でもない私たち自身なのではないか”というものでした。1954年の映画以降に生まれたヒーローとしてのゴジラや、アイコンとなったゴジラは、2011年には小さくちっぽけな私たちひとりひとりの日常と変わってしまったのではないでしょうか。それは決して悪くはないことですが、そうした小さなゴジラとなった私たちが巨大エネルギーを食い、成長していって今回の原発の破壊の引き金のひとつとなったのは皮肉としか言いようがありません。しかし表象の意味をすべて決定することは重要ではありません。本当のところ「小さなゴジラ」が何をさすのか、私自身謎なのです。

 またこれは想像力の問題です。なぜ想像するのか、なぜつくったり描いたりするのか、ということです。単純にそれは何々を表しているからとか何々の考えの具体化、というだけではすまされません。小さなゴジラを無数に描いてみたいという思いはただ描いてみたいという思いから出発しているのですが、なぜゴジラを無数に描くことにかくも熱中するのでしょうか。それをことばで説明しようとすると、肝心なものはするりと逃げていきます。つくることはそのまま思考実験でもありますから、それはやはりやってみるしかないのです。

 つくるものにとって、この現実に存在するものよりもつくったもののほうにリアリティを感じることはよくあることですが、“ゴジラという亡霊”のようなものを、それを知らない人までがひたすら夢中に描いてしまうのは、やはりそこで絵をかくことの秘密に触れているからだと思うのです。ゴジラをかたちづくった人たちもそうしたリアルな感情を抱いてこれをつくったのだと思います。私の興味は、どのようにしてそのとき抱いている恐怖や不安がゴジラというたぐいまれなかたちになったのか、ということにあるのです。

 ですから私は、ここでもうひとつの「ゴジラ論」を展開しようとしているのではありません。

 「ゴジラとアトムー原子力は「光の国」の夢を見たか」*(注8)は3.11後に出た「ゴジラとアトム論」として示唆に富んでいます。原子力の明と暗をアトムとゴジラにたとえた全体のテーマはわかりやすく、私はここからさまざまなゴジラ論があることを知りました、しかし同時に私がやろうとしていることとの違いもはっきりと認識しました。この本はことばによって成り立っているものです。それに比べて私たちのやっていることは絵(をかく、つくる)によって成り立っているもので、むしろはるかに遊びに近い、という違いです。ばかばかしさや「愚鈍さ」のなかに身をもって飛び込み、それを肯定しています。つくるとはそういうことです。曖昧なところがたくさんあり、論理では割り切れないところも多々あります。これを突き詰めていくと“なぜつくったりかいたりするのか?”という問題にもつながります。わからないからつくったりかいたりすると言ってもいいかもしれません。そういう不分明なところからこの企画は始まったのでした。

  展示の誘いがあったときに、無数のゴジラを描いて展示をしたいという発想がありました。もちろん考えは発想と同時に出てくるものですからその時点で展示のコンセプトもおぼろげながら浮かび上がりました。そして自分ひとりでは無数のゴジラはできないので協力者を捜すことになり、学生に考えを提示し、それぞれが思うゴジラをやらないかと提案したところ、思わぬ反響があり、多くの人たちが参加してくれることになりました。ゴジラを知らない世代の人がこのような強い興味を示したことは驚きでした。もしかすると彼女、彼らはただ小さいゴジラをいくつも描くことに興味を持ったのかもしれません。それを裏付けるようにマルの中のゴジラはちょっとだけ描いた人も含めて多くの人を巻き込んで見る見るうちに増殖していったのです。

 そして「それぞれが思うゴジラ」(*注9)もドローイングとして何枚も出来上がっていきました。私は、ゴジラがそれを知らない世代も含めて、自分たちのいま抱く心情、感情を託す格好のアイコンになっているのを目の当たりにしたのです。当然私の最初の意図から外れたものもたくさん出てきましたが、それはこの制作の広がりと考えそれぞれの作者に任せました。そのあたりの経緯については、主たる制作者の藤田遼子や野間祥子が書いてくれているので参照してください。

 またこれは展示を見る側についても言えることでした。中学生を中心とした展示の見物者は、ゴジラの映画やテレビを知らないのにゴジラを知っているのです。私たちの世代がゴジラは映画から入っていくのに対し、この世代の人たちは逆に展示された日常のゴジラ風景や小さなゴジラの絵からゴジラ世界に入っていくのでした。

 絵を前にしての大笑い、あるいは「このゴジラ、おかしい、かわいい」とか、教室の天井近くの「目がこわい」とか「なんで5時なの?」といったたわいもない会話はそこに見物者が参加している証拠です。それがたとえ遊びのようなものであろうと何らかの感情が起こったり伝わったりすることは重要です。これに関しては展示担当の山崎啓太郎の報告があるのでそれを参照してください。

 このゴジラの展示は何かのメッセージを伝えようとするものではありません。それは現状の問題に対してその処方箋を提出するのではなく、もっと別の想像力とともに別の次元を夢見るものです。別の次元とは可能的現実と置き換えてもかまいません。

 無数の小さいゴジラと大きなゴジラを展示することで、わたしたちは“いま”を見、“いま”を確認したかったのです。現実(リアル)を確認するとともにつくるリアル、生きるリアルを体験したいと思っています。

 そして「ゴジラ」とは架空のお話ではありません。それはわたしたちが直面している現実の物語です。

                                     (ながさわひでゆき)

注1:「ムサビる」武蔵野美術大学「ムサビる」実行委員会による地元の中学校でのスクールアートプロジェクト(中学校を美術館に変える企画。学生作品のほか、教員も数名が参加)。今年は小平市立第二中学校と東大和市立第五中学校で2012年8月4、5日に開催された。この「大きいゴジラ、小さいゴジラ」展は小平市立第二中学校での展示となった。その展示の美術館拡大版がこの川越市立美術館での展示となるが、文章は最初の展示発表の時のままとした。

注2:田中友幸プロデュース、本多猪四郎監督のこの映画に関しては、川本三郎による「今ひとたびの戦後映画史」岩波書店 所収の“ゴジラはなぜ「暗い」のか”が突出しておもしろい。このなかで川本は「ゴジラは、水爆実験の被害者である。核によって奇形化したフリークである。ゴジラは、人間の世界を破壊しつくす加害者であると同時に、人間の科学によって生命をおびやかされた被害者であるという二重性を帯びている。だから観客は、東京を破壊しつくすゴジラにカタルシスを感じることもできないし、オキシジェン・デストロイヤーによって海のもくずと消えていくゴジラの死にカタルシスを感じることも出来ない。「ゴジラ」が暗いのはそのためである。」と述べている。また別のところで「ゴジラは「戦災映画」「戦禍映画」である以上に、第二次世界大戦で死んでいった死者、とりわけ海で死んでいった兵士たちへの「鎮魂歌」ではないかと思いあたる。“海へ消えていった”ゴジラは、戦没兵士たちの象徴ではないか。」と述べている。

注3:講談社ヒットブックス、テレビマガジン特別編集スペシャル「ゴジラ」参照

注4:同じく前掲書による.200枚以上描かれた絵コンテや粘土模型、ゴジラのミニチュア着ぐるみの石膏型などの写真が掲載。最初の恐竜風の原型は最終のかたちが着ぐるみということもあってさまざまなヴァリエーションのなかで変化していく。それらに混じって下半身スーツやギニョールがあるのが楽しい。また川崎市岡本太郎美術館の展覧会カタログ「ゴジラの時代—SINCE GODZILLA」にもゴジラ誕生ドキュメントとしてミニチュアや撮影セットの写真が多数掲載されている。ちなみにこの映画の特撮監督は円谷英二。

注5:高橋敏夫はその著「ゴジラの謎—怪獣神話と日本人」で恐竜スタイルのゴジラが水爆実験によってもたらされたことの意味を「恐竜の時間と水爆の時間は、同時代においてもっともへだたりのある時間だったのである。(中略)恐竜が最大限の過去をイメージさせるものならば、水爆は同時代において最大限の未来をイメージさせるものだったのである。」(10 水爆怪獣のイデオロギー)と述べている。

注6:「未来に伝えたい陸前高田」企画・制作・発行:タクミ印刷有限会社 地元の印刷会社が出版した写真集で○想いでの陸前高田○2011.3.11○津波の爪痕○被災前・被災後の姿からなる。

注7:加藤典洋「さようなら、ゴジラたち  戦後から遠く離れて」岩波書店 からの引用。

この著のなかの“さようなら、『ゴジラ』たちー文化象徴と戦後日本”には次の指摘もある。

「戦争の死者の意味記号であるゴジラの馴致をつうじて、日本の社会は、代替的に、戦争の死者という宙に浮いた「不気味な存在」を、以後、無害化しようと努めるのである。

注8:「ゴジラとアトムー原子力は「光の国」の夢を見たか」慶応義塾大学アート・センター出版 ここにはいくつかのおもしろい指摘があるが、たとえば萩原能久の「ゴジラは先の戦争で死んだすべての人の残留思念の集合体」というもの。もちろん「残留思念」だけではかたちはできない。制作者たちの肉体、矛盾をはらんだ肉体が着ぐるみのゴジラという他にはない怪獣をかたちづくる。

 巽孝之は鉄腕アトムも怪獣ゴジラも「破壊を出発点とする創造を無限循環させていく高度成長期最大の文化エンジンとして国民的英雄となったことは、再認識しておかなければならない」と述べている。

 粂川麻里生は4章の「亡霊の生命—ゴジラ、モスラ、ウルトラマン」のなかで“「被爆者」および亡霊としてのゴジラ”をとりあげ、「亡霊こそ、じつは生命そのものであるということもできるはずだ。放射能によって身体と環境が破壊されつくされたあとで、なおかつ姿を現さずにはいない霊的エネルギーこそがゴジラである。」と論じている。また「ゴジラが、戦没者の亡霊、とりわけ戦前の日本を守るために南洋に散っていった兵士たちの亡霊の集合であるとするならば、モスラは女性たちの霊と結びついたアイコンだと言える。」と指摘して、小野俊太郎の『モスラの精神史』からの引用を載せているのも興味深い。

注9:「それぞれが思うゴジラ」とは学生に協力をお願いしたときに伝えたことばで「小さいゴジラ」や「大きいゴジラ」以外の、日常に潜んでいる身近なゴジラのこと。いま抱いている気分や感情、違和感などをゴジラとともに表現するように伝えた。