つくること、バカやること

 うーん、やっぱつくることはバカやることだな!

バカになる、ってことじゃなくてバカを平気でやる。これはなかなかできないよ。だってそんなことやってもばかばかしく思ってしまってどうしてももっとまともに考えてしまう。

 ばかばかしいことを楽しんでやる。それがなかったらつくることなんてできない。言葉をやる人に比べて絵をかいたりものをつくったりする人のほうがその点ははるかにバカに向き合っているということは、以前の「大きいゴジラ、小さいゴジラ」のところでも触れておいたが、これは別に卑下しているわけでもないし、つくる人を攻撃しているわけでもない。むしろ自慢しているほうに近いが、園子温監督の「地獄でなぜ悪い!」を見ると、ああやっぱり彼はバカにしっかり向き合ってつくることをやっているなと感心する。

 これはつくることの本質をついた映画なのだ。それをまた映画についての映画とかメタレヴェルなどと言ってしまっては身もふたもない。つくるということのばかばかしさをこよなく愛しそれに徹し切った映画であるから、何かつくっているヤツにはピンとくるものがあるのだ。

 で、ばかばかしさを平気でやるには体力が必要なのだ。肉体が必要なのだ。肉体がまずその場を切り開いていく。この体力と肉体はばかばかしさを保証するする唯一のものであるから、これを軽視する人はものをつくることの本質には決して迫れないだろう。

 この勘違いって意外と多いよね。なんか頭使ってこねくり回していることがつくることだと勘違いしているっていうのが・・逆にバカやってると指摘されると妙にすぐしゅんとしてしまうのも・・。

 でも絵かいたりしているのは決して知的な仕事じゃないよな。のどの渇きみたいなもんだから、やっぱそれはフィジカルなもんで空っぽで・・・ぶつぶつ・・。