絵画の距離(見る時の)についてはすでに2013/3/15のブログでとりあげたが、絵と絵の距離については今回が初めてである。こんなことを考えたきっかけは神奈川県立近代美術館で開かれていた「戦争/美術」という展覧会を見たからに他ならない。(7月6日—10月14日)
この展覧会には今まであまり見たことがないいい作品が出ていた。画家靉光の紙本淡彩によるうす塗りの人物像や、墨の濃淡が二重像として見える<鷲と駝鳥>など、今まで私が思っていた画家のイメージを覆す作品も多い。丸木俊の紙に彩色、ペンで描いた<アンガウル島へ向かう>(1941)もはじめて見る彼女の作品であった。
展示の全体を見ると戦争という時間に前後して、作品がこうも違ってくるのか、という思いが何人かの作家についてわき起こってきて、これは企画の意図でもあろうが作品と作品の距離が不思議に興味深く感じられたのである。
そのなかでも藤田の「ブキテマの夜戦」(1944)は戦いのあとの静かさが暗い茶色の画面を覆い、背景には戦火の赤い光がほのかにちらつく名作だと思うが、私はここに「猫(争闘)」(1940)の絵をもってきて一緒に見てみたい気持ちになるのをおさえることができない。
それはかつて見た「アッツ島玉砕」(1943)でも「サイパン島同胞臣節を全うす」(1945)でも強く感じたことである(近美の展示で実際にこれは実現していた記憶もあるが定かではない)。藤田の戦争画はどれをとってもすさまじい。そして胸を打つ。それが戦争を題材にしたものだからなのか、それとも絵の力によるものなのか。たぶんそのふたつは切っても切り離せないものなのだろう。戦争を題材にしなければ描けない絵ではあるが戦争画を超えた絵でもあり、戦争の現実からくる強烈な感情があるが絵をつくる感情もまた強くある。それは絵をつくる時の核心的な感情なのだと思う。
だからその感情を見たい。そして「猫(争闘)」にもその感情がある。しかし絵の表情は全く違っているのだ。かたや激しい戦闘のあとの静寂が支配する暗茶褐色の世界で、もう一方は白と茶褐色の対比的なコントラストの強い画面である。見た目は全く違っている。その意味では絵と絵の距離は遠く、それはそのまま藤田が日本に帰国した1940から帝国芸術院会員を経て、戦争画に身を捧げるようになっていく年月の距離や、その後日本を離れることになる複雑な彼の心情をも想像させる。
しかしそこに流れる感情は同じものである。・・・とは簡単に言いがたいものがあるが、私はやはりここにある通底する感情を見てしまう。それは画家がキャンバスというたたかいの場で巻き込まれる感情のようなものである。いや、巻き込まれるというのは正確ではないかもしれない、むしろそこでこそ沸き上がるもの、と言ってもよい。それは絵の現場感覚といってもよく、誰でもがもち得るものではない(実際藤田は戦争画の取材はしているがすべての戦場に行っているわけではない)。藤田が43年に書いた言葉が思い出される。
「中略・・未だに世間では戦争画を芸術で無いと言い又は別個の様に見做している輩も無いでは無い。戦争画に於いて立派な芸術作品を作り出すことは不可能な事ではなく、又吾等は努力して作り出さなければならぬ。日本にドラクロア、ベラスケスの様な戦争画の巨匠を生まなければ成らぬ。只、花鳥山水の画家のみを続出する訳にはいかなくなった。」(「新美術」1943年)
日本に帰ってきて率先して戦争画をはじめた頃の意気込みが伝わってくる言葉ではあるが、同時に絵画の意味を言い当ててもいる。“いかなくなった”というのも意味深長である。
もうひとつ絵と絵の距離のことで感じた作品があった。それは丸木位里・俊の「夜」(1950)と、展覧会には出品されていないが美術館ショップのはがきにある丸木俊の「百合の花」(1948−50)の絵の距離である。前者は紙本墨画の二幅で全体が暗い。静かではあるが黒の深さと人間の存在にじっと魅入られてしまう絵だ。ふたりで描いた「原爆の図」と同時代の作品である。そして後者は、思わず「これ、誰の絵だろう?」と思ってしまったが薄茶の背景に白い百合の花が7輪以上咲いているうれしくなるような絵だ。丸木スマさんの絵とも似ていて素朴な描き方で白い光のような華やかさとタッチを重ねて描く楽しさを併せ持った作品である。しかもその何輪もの百合を支える小さな黒っぽい花瓶が不思議な存在感を出している。花と花瓶のバランスがおかしいほどに極端だ。そして魅力的である。このふたつの作品をやはり並べて見たいと思うがそれはおかしなことだろうか。
こちらは先ほどの藤田の2点に感じるものとはちょっと違っている。多くの人が感じたであろう戦後の感情がこのふたつに現れているような気がする。年代からすれば同じ時期のものであり、その意味ではふたつの絵の時間的距離は近いが、まぎれもなくそこには戦争直後にある葛藤とも言える感情が現れている。
戦争をどう受けとめるかという問題ともうひとつは今を生きることの問題である。それが亡霊のような群像と白い光の百合の花となってあらわれている。この振幅の差こそが画家の生の時間であり、それはそのまま2013年にここに生きている私たちに“届けられる感情”でもある。だから並べて2点を見てみたい。
一点の絵が、その時代の感情や個人の思いを忠実に映し出すことに今更ながら感嘆せざるをえない。それは作者の意図を超えたものでもある。その意味では絵を描く時の“自由”などどこにも存在しない。わたしたちはとらわれている。
だが逆にとらわれているからこそ、物質に過ぎない紙やキャンバスにある感情が宿るということがあり得るのだろう。
(参考文献;「戦争/美術」1940−1950 展覧会カタログ(神奈川県立近代美術館)、「藤田嗣治画集」(講談社)、「藤田嗣治 作品をひらく」(林洋子著、名古屋大学出版会)、その他の展覧会カタログ)
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