「ムサビる!」への参加は今年ですでに3回目、教室で展示するおもしろさに目覚めてしまったのかもしれない。美術館でも画廊でもなく、ましてや展示空間でもない教室での展示はそこの“場”ならではの展示と発想を必要とする。それがわたしをひきつける理由なのだろう。
その場所の名前そのままに今回は「心霊教室」。わたしの描いた心霊写真的ドローイング(心霊線画!?)に学生から募った言葉を添えてもらうことになった。ドローイングと言葉とのコラボレーションである。
その際にわたしがお願いした条件は「絵の説明ではなく、絵を見ての“妄想”を言葉に出して欲しい」というものである。普段絵を描いている人たちに絵ではなく言葉を、というのは少し奇異に感じられるかもしれないが、これには考えがあった。彼女、彼らの言葉による「妄想力」はとても大きなインパクトをもっていて、それは「想像力」よりも根拠がなく破壊的ででたらめに近いのだが、それゆえに身近な感情表現になりうると思った。わたしの絵の意図はいったんここで宙づりにされ、他者の妄想力によって思いもよらぬところへ放り投げ出される。
ここにはふたつの問題があるように思う。ひとつは作品が作者個人に属するものか、それとも見る人を含めた不特定多数に属するのかという問題、もうひとつは作品解釈の問題である。
まず観客は作品を見るときに自分の考えや思いのなかからそれを受け取る。つまり受け取る側のある意味で勝手な多様さこそがその作品を支えてもいるわけで、作品の意図はそこで曲げられてしまうかもしれないが、その地平こそが作品の成立する地平と言える。そこは“作者個人の場”から広がる複数の“公けの場”である。そのひとつの導入実験として今回のドローイング+他者の言葉があるのではないかと考えた。
次の問題は上記のことにも関係しているが、作品をいかに解釈するかという問題である。
日本での“美術”は西洋美術を理解しその歴史を学ぶことから始まったが、本当にそんなことが可能なのかどうか、全く土壌の違うところで正しい“理解”はあり得ないのではないか、むしろ誤解というか誤解のはてまで蹴りあげることこそ必要なのではないかと言うのがわたしの意見である。今回実際に文章を書いてもらい、そのことを実感した。
例えば「阿修羅像、摩耶夫人、柘榴」を描いたドローイングがあるが、これは「ざくろおんな、鬼子母神・・」と言う文になって返ってきた。また「モクレン、軍荼利明王」を描いた絵では、ふたつの文章、戦前と現在の徴兵についてのことが並行的に語られ、今の危うい政治体制への不安がにじみ出たものとなった。またドクターマーチンの古びた靴はバッシュとなって一瞬のうちに黄ばむ様子を書いたものとなった。わたしの「自画像」は毛深いおんなになり、そのほかにも“誤解”“妄想”はふんだんに生まれた。
もしかするとわたしたちは“美術”をあまりにもまじめに理解しなきゃいけないものと思ってきたのかもしれない。自分をもとに、たとえ誤解であろうと“自分の目で見る”ことを怠ってきたのかもしれない。彼女彼らの文章を見るうちにそのことを強く実感した。
一枚の絵の裏にはことばにならないことばが何層も何層もびっしり張り付いているのではないかと思う。絵をそのような豊かさをもつものとして見る(解釈する)ことが可能なのではないか。ここでの展示はその一層を示したものに過ぎない。
もともとこの企画は、わたしが名も知らぬチョウの羽の絵に少女の顔を重ねて描き、そのドローイングシリーズの名を「心霊線画」と名付けたことに始まる。
心霊あるいは霊魂のことを英語でサイキック(Psychic)と言い、この言葉がもともとギリシャ・ローマ神話のプシュケー(Psyche)からきていて、それは霊魂を擬人化した蝶の羽をつけた美少女のことだとわかったのはその後である。わたしのドローイングの偶然がサイキックということばを引き出し、そのことばがこの展示案を生み出したわけである。だからこのドローイングをまず教室の入り口におき、ひとによってその解釈が違うことを示すために複数を展示した。(他にも複数展示や同じ絵に添えた異なる文章がある)
夏の教室、とくに小学校や中学校には一種独特の雰囲気がある。かつてのこどもたちであった父兄の方々がじっくり座って見、読んでくれた。その場で見ると確かにその大人たちは中学生より大きい!この大きさの違いが教室に刻まれた「時間」でもある。だからそこは一種のタイムカプセルと言ってもいいのかもしれない。
そして今はもう誰もいなくなってしまった教室。これからたくさんの未来の大人が来るであろう教室、そこはまさに「心霊」出現にふさわしい場であった。