「WATERCOLOR on Paper」展予告
○RED AND BLUE GALLERY 6月18日(火)ー7月6日(土)
「展示コンセプト」
俵屋宗達と本阿弥光悦による「蓮下絵百人一首和歌巻」という江戸時代の名品がある。宗達が蓮の葉や蕾、花などを描きそのうえに光悦が小倉百人一首の 和歌を書いたものである。ふたりの共同作業による傑作としては「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」がありこれもすばらしいが個人的には前者のほうにある種のすごみ を感じる。なにがすごいかといえば、蓮と和歌の文字との距離の絡み合いの妙である。たらしこみによる宗達の蓮の下絵は薄くぼんやりとして宗達独特の絵画空 間をつくっているが、光悦の文字は全く逆にその表面にさらさらと濃い墨で書いてある。おくゆきと表面の絡み合い、と現代風に言ってしまえばそれまでなのだ がその絶妙さが一枚の絵としてみてもすばらしい。 こういう絵をつくってみたいという欲求が以前から強くあった。そして実験したのが今回の水彩絵である。まず下に水量たっぷりの絵の具を“たらしこみ”それ が乾いたところにやはり水彩で“まる”の大小を螺旋状においていく。そうすると下絵のぼんやりしたものと前面にある“まる”の連なりの空間がある距離を保 ちながら揺さぶりあう。ほとんど偶然に何かがそこに浮かびあがる。今度は何が出てくるのか期待をしながらそれを繰り返しやっている。絵は絵画空間をつくるが、入れ墨はただ表面に痕跡を残すだけ。その両方が一緒になってつくるものはなんなのだろう?基本的に両者ともに表面に絵の具(染 料)をおいていくことに変わりないのだが表面感覚の違いは大きなものがある。次元感覚の違いと言ってもよい。ぼんやりくっきりの次元感覚、それが欲しくて 水彩をやっている。