彼の名前はミハイル・フルジャノフスキーといった。なぜこのローマに来たのか、聞くとそのいきさつには1986年のチェルノブイリ原発の爆発事故が絡んでいることがわかってきた。彼はその当時40歳で原発労働者の街プリピャチで小さな家具職人をしていたが、当時仲のよかった友人が事故処理作業者(リクビダートル)となってぼろぼろに働き死んでいったことを目の当たりにした。国の危機を救うという使命感もあったのだろうが、多くの作業者がその危険をよく知らされずに作業にあたり、その後症状がすぐ現われた。その被爆量はあまりにも多く、彼らは鉛の棺に葬られた。ミハイルは、友人を自分の手でつくった木の棺に入れようと木材を用意したが、それは全く役に立たないものになってしまったので、それを自分用の棺として空のまま倉庫に保管した。
ところが当時ソ連邦のなかにあったチェルノブイリは、1991年のウクライナ独立とともにロシアから切り離される。多くのロシア人もウクライナ人と同じように独立に賛成したが、ミハイルは反対票を投じ、自分が微妙な立場にあることを日に日に感じるようになった。商売もうまくいかず、思い悩んでいたときに、イタリアのローマに住む知人からたよりがあり、こちらにはロシア人街があるからこちらに来ないか、という誘いがあったらしい。たしかに当時のローマにはロシア人街が形成されていて、彼自身その噂は聞いていたが、その印象はあまりいいものではなかった。しかし彼にはほかに思いつくことがなく、即座にローマに移住を決意し、空の木の棺はそのままにして、そのつくった端材の木をもって1994年にローマにやってきた。彼は端材を切って厚みが1センチもない3cm×12cmの長方形の板を3枚つくり、そのひとつにだけはっきりわかる丸い印を書いた。その3つの断片が、世の中で詐欺師と呼ばれる彼の商売道具となった。
詐欺師としていつも彼が見ていたもの、それは母国ウクライナの森の木の光景だった。深い呼吸をしながらゆっくりと生きていたその森はまるで大きなひとつの生きもののようだった。彼には、小さなテーブルに置かれた3つの木の断片を見る観客の息づかいがその森の呼吸のようにも感じた。そうして木片が動く。目にも留まらぬ早さで動く。そこにひとつのかけがいのない瞬間が生まれた。賭けた観客のひとりが自分の財布の紙幣を見るのだ。これこそ欲望のまなざしの一瞬であり、一瞬と言えども測ることのできない時間なのだ。詐欺師は、超能力など使わずに木片を瞬間移動させる。そうして観客の欲望の時間をつくって差し出す。いくつもに重なりあう欲望の時間。
2017年、ローマのロシア人街の片隅でミハイルは死んだ。そのとき周りの友人たちは彼が奇妙なことを言うのを聞いていた。「おれの棺のなかにウサギがいるぜ…」
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