ごじら考
敗北からの想像力 1954年のゴジラ映画は、戦争に敗北した側からでて来た想像力なのだと思う。もちろんそれは映画にあるように、水爆実験によって古代の巨大生物が蘇ったものとも言えるし、多くの人が指摘するように第二次世界大戦で太平洋に散った日本軍兵士の亡霊と見ることもできる。第五福竜丸に代表されるマグロ漁船が被爆した、その当時の不安の現れでもあろう。 そこから生まれた想像力は戦争に敗北したからこそ生まれてくる独自のものであって、決して勝者の想像ではない。いや、むしろ想像力とは…
敗北からの想像力 1954年のゴジラ映画は、戦争に敗北した側からでて来た想像力なのだと思う。もちろんそれは映画にあるように、水爆実験によって古代の巨大生物が蘇ったものとも言えるし、多くの人が指摘するように第二次世界大戦で太平洋に散った日本軍兵士の亡霊と見ることもできる。第五福竜丸に代表されるマグロ漁船が被爆した、その当時の不安の現れでもあろう。 そこから生まれた想像力は戦争に敗北したからこそ生まれてくる独自のものであって、決して勝者の想像ではない。いや、むしろ想像力とは…
佐々木敦さん、山本和弘さんの カタログテキストを展示情報にもアップしました。 (下記項目をクリック) カタログテキスト 「視線の幽霊」佐々木 敦 [PDF] 「長沢秀之の新しい絵画についての一考察」 山本和弘 [PDF]
9月の展示が間近。2013年の「心霊教室」、14年の「絵画のなかのあらゆる人物は亡霊である」の延長上に今回の展示がある。展覧会の名前は「未来の幽霊」。 亡霊とは必ずしも過去からのものではない。現在を生きる誰もが未来の幽霊となるだろうし、未来の時間からやって来る幽霊もいる。いやそうした時間の区分け自体が意味をなさないものなのかもしれない。「未来の幽霊」という題は、絵から見えてくる感情を言葉にしたもの。昨年、栃木県美の山本和弘さんにアトリエに来てもらい、作品を見せてテキスト…
赤羽史亮のgFALでの展示が始まった。(6月8日(木)〜7月8日(土)) *画像は展示前の写真 オープニングのアーティストトークは彼の仲間や多くの学生が集まり盛り上がった。ゆるさとリビドーが同居しているところが彼のいいところ。圧倒的なえのぐのエロスはどこからでてくるのか、それを彼に聞いてもあまり彼は答えない。事前の打ち合わせでも「あまり僕は話がうまくないので、質問してください」と言っていたが、こういう作家は珍しい。今まで多くの作家にレクチャーに来てもらったが多くの人が…
赤羽史亮はすごい絵をかきます。来週の6月8日(木)にアーティストトークとレセプションがあります。(私も出る) プレスリリースのためのコメントを書いたので以下に掲示します。 えのぐが歌うこと 赤羽クンのえのぐにはエロスがある。かつて、長谷川利行のえのぐにもエロスがあり、麗子像の毛糸の肩掛けのえのぐにもエロスがあり、ゴッホのえのぐにも、マチスの薄塗りえのぐにもエロスはあった。 絵の具は肉体のものだから、かたちに屈するとエロスを失う。かたちを補強するだけの道具になってしまう。…
昨年、NYに行った際にたまたま見たハードカバーの画集に目が引きつけられた。「モネとケリー」というClark Art Instituteの展覧会カタログで、それは今から14年前にパリで見た「マチスとケリー」という展覧会を思い起こさせた。マチスとケリーだったら、ドローイングの線の違いが際立っているから展示としてはおもしろい、だがモネとケリーとはあまりにも違いすぎて、これはいったいどういう展覧会なのだろう?と思って、ページをめくるとそこに目を引く絵とことばがあり、私はこれを躊躇…
ヒュー・スコット=ダグラスの展示を栃木県立美術館に見に行く。 倒産寸前の映画館から買い取ったという35㎜劇場映画の予告編映像の断片に手を加えた映像が薄暗い会場に一枚ずつ映し出される。映画という物語の一コマは人であったり、ものであったり、何かの表面であったりとさまざまだ。そこに映画として存在していた物語の断片を一瞬見せて消えていく。暗がりの中で4台あったプロジェクターの前に座り、漠然とこの作品を見ていると“ああ、もう人間は終わったのだ”という思いが頭のなかをふとよぎる。 …
私たちの知覚は、AI(人工知能)の登場によってどう変わるのだろうか?人間でなければできないような知覚方向にシフトしていくのか?それとも知覚の初期 化を反復するのだろうか?そもそも私たちの知覚自体が実はAI的(転倒した言い方だが)であり、それを今再確認しているに過ぎないのか? モランディを見ながらこんなことを考えていた。いつもなら絵の具の官能性のことを感じながら見入っていたところだが、今回の展示では、同時に自分の知覚が問い直される気がした。その根底には人間が何を認識し、何…
この場所の、この惑星で起っていることの意味を考えながら、美術大学という場の新たな生成物を見て回る。私は過去に“サイボーグの夢”という展覧会を企画したことがあり、いつも作品をSFの文脈のなかに置いてみる癖があり、そう見て回ることは不自然なことではない。 まずはこの場所、つまり私たちが生きているこの地に特有の“印”をもった作品から眺めていきたい。岩崎由実の絵画は陰影の振幅とほのかな光という“印”をもっている。私たちが油絵具で絵を描こうとするとき、どうしても突き当たる問題があり…
12月の半ばに奄美に行った。 「対話」*(註1)の奄美版の可能性を調べるためで、大学の同僚の三澤教授とともにあちらこちらを回ってきた。(三澤さんは今年の夏に「ムサビる!」で学生を引き連れ黒板ジャックを実施、その報道で奄美では知られた存在になっていた。そして次回の可能性の調査のために同行した。) NPO法人アマミーナを主宰する徳雅美さんのすすめによる訪問であったが、案内してくれたのは事務局の森田さんである。元校長先生だけあって奄美のことを知りつくしている。1953年の日本…